「僕は24歳。」ー時の経過と精神年齢ー

さてさて、今日は僕のことを大きく自己開示して、時の経過と精神的年齢、そして自分を許すことについて、語っていきたいと思います。


客観的な数字と主観的な数字

僕は今29歳でもうすぐ30歳です。

でも実は僕は24歳なのです。

何言ってるのか分からないと思いますが、実際そうなのです。

前者は「客観的な時の経過に基づく数字」
後者は「主観的な精神的年齢の成熟に基づく数字」
なのです。


社会との接点のない6年間

時は誰に対しても均等に流れて行きます。

5年経ったら高校1年生は20歳になることは予め決まっているのです。

これが時の経過の客観性です。

ただ、この時の経過に追従して、人の精神的年齢が成熟するとは限りません。
なぜなら、時の経過は客観的であっても人生は主観的であるからです。

僕の話をしましょう。

僕は高校1年で自主退学して、筋肉系の病気のために吐き気がとまらず、その後2年半は人とまともな関係を築くことができずに過ごしました。

大学院の受験においても丸1年間ぐらい、人との接触を自ら禁じて勉強していました。

そして司法試験の受験勉強でも丸2年半ぐらい、同じく人とまともに交流することなく生きてきました。

実は僕は、人との交流を失った期間が6年ほどあるのです。

その間に人との出会いを通じて自分の人格や精神を磨くという機会はありませんでした。

僕の人生における精神的成熟のための経験機会は、実年齢と比例してあったわけではないのです。


自分を許すこと

これは芸人で不登校経験がある髭男爵の山田さん(ルネサーンスの人)。彼は不登校が中2から始まって引きこもりになって、20歳の時に社会に出てきたらしいのです。

https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/95/

上記の記事とは別の記事で、彼は自分の年齢を6歳差し引いて考えていると仰っていました。
だって、6年間社会との接触が全くなかったのだから。そう考えた方が自然だし、楽だから、と。

僕はそのお話を聞いて「自分の足元をみて、自分を許してあげてるんだな」と感じました。

実際に僕は山田さん同様の経験をしたわけではありませんが、社会との接触がなかった経験からすれば、僕が社会一般的な「30歳」としての成熟した器量を持つ、いわゆる「大人な対応をする」人間であるというのは、偽った自分なのです。
6歳分、無理に背伸びして発する言葉や態度には無理が生じてしまうのです。
だって、僕にはその土壌がないのですから


24歳という事実。

最近まで、「もうすぐ30歳だからちゃんとしなきゃ」という気持ちが常に僕を焦らして、胸を締め付けてきました。
知ったかぶりをする必要がありました。だって、「30歳にもうなる」という事実をなんとか克服したかったからです。

でも、今は自分がただの24歳程度の、精神的に未熟な人間だと受け入れるようになりました。

だって、事実は違ったのですから。僕には社会との接点を無くした6年間という事実があったのですから。24歳という事実をもう無視したくない。

僕は本当に未熟です。でも、そんな自分を許そうと思います。楽にしていいよと言ってあげたい。

今は、本当に器の大きい30歳になれるように、社会と生きていこうと思うのです。

もっと精神年齢幼いかも?
まだまだ子供だ

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