試験という真剣試合

1 試験という真剣試合
その意義は何でしょうか。

その人の知能指数?知識の熟練度?

僕は 「真剣試合」性を強制的に儲けることだと思います。

何事も「真剣試合」の時がスキルが伸びます。
自分の能力を総動員するとき、自分のコップの中の水があふれ出そうとするとき、初めて人の器が広がります。

 

試験は厳密な監督の下、短時間 自分の最大出力を図るものです。

その試験下でのアウトプット、つまり「真剣試合」の下でのみ
「自分の限界値」を出せます。

「限界を越えようとする意志」をもって挑んだ練習でも出なかった「火事場の馬鹿力」が出る場合もあります。

そして、振り返りを即時に行うことにより、また人間は高みを目指せるのだと思います。

2 真剣試合性を損なうもの

しかし、いくつかの試験では「真剣勝負」の最高のメリットを享受できないものがあります。

メジャーどころだと、TOEICやSPI試験。

受けられた方は多いと思います。

どちらも、自分の解答が合っていたかどうか即時のフィードバックが得られません。

あれって受けている時、最高に楽しい。興奮してるんですね。
僕だけかもしれませんが笑

自分の限界が分かるし、限界を超えなきゃいけないこともわかる。
「試合中に成長する感覚」 真剣試合だからこそ得れるものです。

ただ、その最高の集中力の結果が帰ってこない。

野球などで打率やスコアボードに刻み込まれるべき自分の真剣試合の証が、すぐには自分に返ってこないのです。

TOEICは点数は返ってきますが自己の解答は返してもらえません。

自分の最高だったと思う解答が間違っていた時のショックや集中力が勝った瞬間の選択

真剣試合だったからこそ、振り返りたい。結果じゃなく、自分の最高出力を知りたい。

なんども言いますが、試合の意義は「真剣試合」性にあります。

TOEICが100点上がった結果なんて1ヶ月後には知りたくないんですよ。
どうせ忘れていますから、試験のことなんて。

スコアをつける試験なら、何でそういう結果が生じたのか フィードバックを即時に返す必要があるのです。

フィードバックの即時性がない試験が、試験が本来持つ「真剣試合」性を損なっています。

3 自分にできること

毎日、真剣試合をしていきましょう。そしてその結果をすぐ自分で確認できる環境に身をおきましょう。

会社の中でも、フリーランスでも、起業家(環境的に強制されますが)でも。

能力の最高出力を繰り返していって、自分の器を広げていきましょう。

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