「教育」は果たして義務か?ー教育の下位要素としての「就学」

みなさん こんにちわ〜
事業を始めるってホント、「孤独」にならないかが重要だな〜と思うこの頃

僕はギリギリ社会との接点を「能動的に」作ってはいますが、時々ポッと

スケジュールが空いてしまうと「・・ど・・どうすればいいんだぜ・・・!?」

とモチベーションが落ちてしまい、一日中ベッドで何をすればいいのか考えながら苦しむ日があります。というかここ2日間そうでした!

やはり、自己って「他者」があってこそだと思いますね〜

さてさて、本日は「教育は義務か」 というメチャ根源的な問題を
超端的にまとめてみたいと思います〜

国家の持続性担保装置
国家において「教育は義務」というのは間違いではないと思います。
なぜなら、国家は持続するコミュニティであり、コミュニティは成員が持続的に入退出して成立するものだからである。
その持続的入退出性ともいうべきものの中には
コミュニティにおいて一定の質が担保された成員を創出、自己に帰属させることが必要条件となる。教育はその成員の「質」および国家に対する「帰属」的意識を醸成する上で不可欠である。
したがって、国家が教育を義務とするのは、それ自体の持続性を担保する装置という点で、正しい。
のが持論です。

「就学」は義務か
しかし、「就学」は義務ではない、というのも僕の持論です。
就学とは、学校に行くということですね。
なぜか。
答えは単純。国家の教育形態の中の一つ枝葉に過ぎないからです。
学校に行かなくても、他の教育プラットフォームがありそれが適切な形で個人に提供されていれば、前述したコミュニテイの成員の質及び国家に対する帰属意識は担保されます。
 
つまり、学校に行く「就学」は単なる教育の下位要素であり、かつ、必要条件でではないのです。

「不登校」という言葉は不要どころか、不適切なのである。
そもそも、僕は15歳で義務教育のレールを外れています(高校は義務教育ではないですが、進学率からして「義務的」になっていると言っていいでしょう。)
しかし、自分で能動的に勉強した結果、最終学歴は慶應義塾大学の大学院修了、法務博士です。
ほとんどの人が、「不登校」=義務に反している 学のない人になる
と考えがちですが、「就学」がただの教育の一つの形に過ぎない以上、その等式は成立しません。
現代において、「不登校」という言葉は不要どころか、不適切なのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です