発達特性の人特有の長〜い話しが 好き

バババババババン!

バババババン!

この前、一緒に遊んだ子供が言っていた「ギャク」です。

いや〜衝動性と多動性の塊の彼らと一緒にいるとこっちもテンション上がっちゃいますね〜

今日は、発達特性の人によくある、「要点を得ない長〜い話し」について書いていこうと
(「障害」という言葉は、僕はしっくりこないので今後は「特性」という形で表現させて頂きます)


話が長〜いからこそ、好きなんだ

発達特性の人はよく「話が長い」と言われることがあります。

僕も過去はそうでした。ただ、今は他の人の感じ方や意見をすごく知りたいので、話は簡潔に纏めています。

ただ、僕は「話が長い」ってことに全く悪い印象を持っていません。むしろ好き

「話が長い」は悪く言えば要点まとめろと言われます。

ただそれは「生産効率」が問題になる市場、会社での話のこと。

「話が長い」を良く言えばアウトプットの量が多いとも言えるのです。

そして、アウトプットの量はインプットの量に比例する。

語るべきことが多くあるというのは、それだけ五感を使って多くのことをインプットしたということ。

美術展で名画をみて「良かった」っていうことしかできない人はそもそもその名画を「見て」はいないのです。

1時間語れる人がしっかり「見て」インプットしているのです。

もちろん、同じ話を繰り返す、関係ない話にまで飛んでいってしまう、他の人の時間を圧迫する、というのは問題ですよ。そこは修正を試みるべきです。

だから、「話が長いこと」という「事象」自体、悪いことかなぁ? と思うのです。

僕はその人の膨大なアウトプット、好き

話が長〜いからこそ、好きなんだ

 

 

障害者と触れ合うことー非言語コミュニケーションが教えてくれるもの

うぃ〜〜

京都の夏は人を殺しかねん!狂っている!

「そうだ!狂都に行こう」

でもやっっっっと涼しくなってきましたね!
朝は。

さてさて、今回は障害者と触れ合うことの大切さを記事にしてみたいと思います。


メルクマールの流用の弊害

僕は標語を中心に活動している、重度の知的障害者・身体障害者の外出支援ボランティアの運営に携わっています。

その中のひとには、車椅子の方はもちろん、言語がすごく聞き取りづらかったり、そもそも言語を喋れなかったりする人もいます。

でも、その人たちは、健常者と変わりなく、僕の友達です。
そもそも、「障害者」という認識もあまりありません。

なぜか。

企業における社員評価のメルクマールは労働生産性でしょう。そういう面では彼らは「障害者」なのかもしれません。しかし、友達のメルクマールはそうではないでしょう。

「居心地がいいかどうか」のはずです。

しかし、一日のほとんどを「労働生産性」が問題になる会社で過ごしていると、会社を離れても、障害者かどうかのメルクマールを深く考えず、「労働生産性」と考えがちです
(メルクマールの流用)。

現代人には「何が障害なのか」を深く考える時間がないほど多忙なのです。


非言語コミュニケーションが教えてくれるもの

そのボランティアグループで障害者と健常者が一緒に計画を立てて、企画を行う時のテンションはめっちゃ高い!そして笑いも絶えません!

言葉が聞き取りづらかったり、そもそも喋ることができない人。その人たちは教えてくれるのです。

「言葉」という普遍的ツールが阻害する個人の「感情」の表し方を、表情やリアクションで。

そこには、健常人同士の変な探り合いはありません。
ただ、嬉しい、楽しい という感情があるだけです。
そして、僕もその渦に巻き込まれて、感情を思いっきり出せるのです。


非言語コミュニケーションの大切さなどを教えてくれるワークショップなどありますが、そもそもそれが言語コミュニケーションを軸としています。

そのようなものにお金を払って参加するより、障害者のコミュニティに思い切って突っ込んでみてはどうでしょう。

初めはびっくりするかもしれません。

しかし、慣れると 本当に大切なものを貰えます。

医者は本やフォルダでしかない

みなさん こんにちわ。

先日、霊学の治療を受けて「頭からは天使の光が降り注いでいる。しかし、下半身がグランディング(地に足がついてない)できていない。根菜類とか食べて地のパワーを補給して下さい。」と言われた 吉田です。

全くその通りで爆笑

頭でっかちで行動が伴っていない、ということは事業を支援してくれる人に何回も指摘されていたので

おぅーん(咆哮)

まあ、実践主義に軸足を移したばっかなので、今から変わってくる予感がするぜぃ。楽しみ〜。

さて今回の記事は少し短めに、お医者さんの判断と自分の判断について書いていきたいと思います。


医者は本かフォルダ

専門家は、「実践者」の高位に位置する人を言います。

例えば、禅の専門家は実際に禅の修行をしています。
投資家は実際に株式を買ってポジションを取っています。

つまり、専門家には実践したこと、言い換えれば当事者としての経験が必要なのです。
自分が体験していないことについて語るのは机上の空論であり、生きた言葉には決してならず、ゆえに生きた人間を動かすことはできないからです。

その点でいえば、医者は専門家に必要な「当事者性」を欠いています。多くの人は「お医者さんが言っていたから」という枕詞をつけますが、彼らは精神疾病や難病になった経験がありません。
それは「知っている素人」が言っているから、という言葉と同義なのです。


試行回数の多さに依存する

医者は専門家に必要な「当事者性」を欠いているがゆえにその「アドバイス」は単なるググって得られる知識となります。

そのような医者の3カ月に1回の診断に従うということは、非常に危険かつ効率が悪いです。なぜならメソッドが一つに限定されているため、トライ&エラーが実質上、行い得ないからです。

全ての事象に対する解への道筋に早く行き着くには、試行回数の多さに依存します。

自分で毎日、自分で判断して自分でフィードバックを得る自己治癒を試す方が トライ&エラーの数の分だけ正解への道筋は近いのです

医者の中でも立派は人はおられることは存じていますが、
患者は医者を主語にして喋るべきではないのです。

 

社会全体に良いことを社会で共有するー相依相関の世界において


社会全体に良いことを社会で共有する

最近、在る知的障害・身体障害者の外出支援ボランティアグループの運営の採用担当をしていて、思うことがあります。

事実としてボランティアさんは、ボランティアという加入要件が緩やかな反面として容易く団体を離脱します。

一回来て、音信不通になることも普通です。

ただ、持続可能な団体たるためにはそれでは不味い。

最近は、ボランティアさんに団体に参加することが一方的なgiveに止まらず自分へのtakeになっていることを、つまり互恵性を意識できるような企画を作ってボランティアさんの定着率を上げようとしています。

しかし、上記のような、社会に存在する有限の人的リソースを自団体に集中させることをしつつも、それとはまた異なる考えも僕は持っています。

それは、「社会全体に良いことを社会で共有する」、ことになるのであれば自団体におけるボランティアの離脱はそこまで否定的に取る必要がないということです。


社会課題解決の実践者は、一団体の個人財産ではない。

どういうことかというと、ボランティアに募集されてきた方々は、面接をしていればわかるのですが、何らかの形で社会的に良いこと(ソーシャルグッド)をしようと思われている方々です。もちろん程度はありますが。

そして、彼らは社会全体でみれば、社会で共有されるべき貴重な人的リソースです。会社・学校以外のコミュニティに身を置いて社会課題を解決しようという意気込みがある人だからです。
社会課題を解決しようという思いがある方は多いかもしれませんが、実践に移す方は貴重です。

その貴重な人たちを一団体の個人財産にしようと考えることは、社会全体の課題を解決しようという思考と矛盾することになります。

その人たちが自団体から抜けても、その人たちが他の良いボランティア団体に所属することになれば、社会全体にとって利益になることには変わりはないと思うのです。

我々が存在する意義は、自己を顕示することではなく、社会が抱える問題を、社会のつながりの中で解決することにあるからです。

ゆえに、社会課題解決の実践者は、一団体の個人財産ではないのです。

採用面接の際に、僕はボランティア募集に来てくださった方々にお願いしていることがあります。

「もし、当団体に合わないと感じたのなら、当団体に所属にこだわる必要はなく、他の良いボランティア団体での所属を考えて欲しいです。
それは、きっと社会全体にとってより良いことにつながると思いますから。」


相依相関の世界において

人間社会というのは複雑遠大この上ない相互依存によって成立しています。

この相依相関の世界において、個人は他の人々から孤立し、その属している集団から切り離されるとき、もはや存在しない、数学的にいうならば、1という数は、無限に存する他の数と関係しない限り、1ではないのです。

裏側から言うのであれば、相依相関の世界において、集団からの離脱が単に自団体からの離脱ではなく他団体への所属につながるなら、それは1であることには変わりはないのです。

個人は、孤立せずに、相衣相関を意識することさえできていれば、社会的に存在(共有)することができるのです。


ALTER の社会性

ALTER も、社会的に貴重な人材であるメンバーさんが登録して下さっていますが、彼らを社会的に共有することがそもそもの団体の設立趣旨です。

だからメンバーさんの独占ばかりを考えるのではなく、彼らの専門知識を、社会の中でどれだけ最大効率化させるかがALTER のやるべきことなのだと思うのです。

(・・・煩悩から脱しきれていない僕は、メンバーさんには出来るだけ自団体に関わって欲しい気持ちはあるんですが笑)

 

まあ、でも、

ALTER は現在メンバー大募集中!場所提供も大募集中!子供達の居場所作りをしたい方も大募集!!

最後台無しかな?笑

 

「僕は24歳。」ー時の経過と精神年齢ー

さてさて、今日は僕のことを大きく自己開示して、時の経過と精神的年齢、そして自分を許すことについて、語っていきたいと思います。


客観的な数字と主観的な数字

僕は今29歳でもうすぐ30歳です。

でも実は僕は24歳なのです。

何言ってるのか分からないと思いますが、実際そうなのです。

前者は「客観的な時の経過に基づく数字」
後者は「主観的な精神的年齢の成熟に基づく数字」
なのです。


社会との接点のない6年間

時は誰に対しても均等に流れて行きます。

5年経ったら高校1年生は20歳になることは予め決まっているのです。

これが時の経過の客観性です。

ただ、この時の経過に追従して、人の精神的年齢が成熟するとは限りません。
なぜなら、時の経過は客観的であっても人生は主観的であるからです。

僕の話をしましょう。

僕は高校1年で自主退学して、筋肉系の病気のために吐き気がとまらず、その後2年半は人とまともな関係を築くことができずに過ごしました。

大学院の受験においても丸1年間ぐらい、人との接触を自ら禁じて勉強していました。

そして司法試験の受験勉強でも丸2年半ぐらい、同じく人とまともに交流することなく生きてきました。

実は僕は、人との交流を失った期間が6年ほどあるのです。

その間に人との出会いを通じて自分の人格や精神を磨くという機会はありませんでした。

僕の人生における精神的成熟のための経験機会は、実年齢と比例してあったわけではないのです。


自分を許すこと

これは芸人で不登校経験がある髭男爵の山田さん(ルネサーンスの人)。彼は不登校が中2から始まって引きこもりになって、20歳の時に社会に出てきたらしいのです。

https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/95/

上記の記事とは別の記事で、彼は自分の年齢を6歳差し引いて考えていると仰っていました。
だって、6年間社会との接触が全くなかったのだから。そう考えた方が自然だし、楽だから、と。

僕はそのお話を聞いて「自分の足元をみて、自分を許してあげてるんだな」と感じました。

実際に僕は山田さん同様の経験をしたわけではありませんが、社会との接触がなかった経験からすれば、僕が社会一般的な「30歳」としての成熟した器量を持つ、いわゆる「大人な対応をする」人間であるというのは、偽った自分なのです。
6歳分、無理に背伸びして発する言葉や態度には無理が生じてしまうのです。
だって、僕にはその土壌がないのですから


24歳という事実。

最近まで、「もうすぐ30歳だからちゃんとしなきゃ」という気持ちが常に僕を焦らして、胸を締め付けてきました。
知ったかぶりをする必要がありました。だって、「30歳にもうなる」という事実をなんとか克服したかったからです。

でも、今は自分がただの24歳程度の、精神的に未熟な人間だと受け入れるようになりました。

だって、事実は違ったのですから。僕には社会との接点を無くした6年間という事実があったのですから。24歳という事実をもう無視したくない。

僕は本当に未熟です。でも、そんな自分を許そうと思います。楽にしていいよと言ってあげたい。

今は、本当に器の大きい30歳になれるように、社会と生きていこうと思うのです。

もっと精神年齢幼いかも?
まだまだ子供だ

ルポ記事:シンギュラリティ と教育

先日8月2日、【SingularityU Kyoto :X-TALKS 】 Limitless Imagination Singularity University  〜不確実な未来を生き抜くための教育と物語力〜というワークショップに参加してきました。
※Singularity (シンギュラリティ):技術的特異点

 

凄まじく濃い内容でした笑。トップカンファレンスかよ!と思うぐらいの容量だったのですが・・僕にとっては。
手加減してくれている内容だとは思いますが、ローテクな僕にとっては頭が爆発しそうでした。。。

まず翻訳があるとはいえ、全て英語でのプレゼン。自分も英語を勉強してきましたが、ぜんっぜん聞き取れませんでした!悔しい!
プレゼンターが完全にガチで最先端のテクノロジー教育理論を語っていたためと思いたいですが・・・・・留学したくなってきますねぇ。お金貯めますか笑

翻訳が素晴らしかったので内容は理解できました。
そのルポ記事を書きたいと思います。


Singularity University とは?

世界で175程の支部を持つ世界的なTec Educationの団体。
実際の大学ではなく、プラットフォームを複数持ちそこでテクノロジーを使った教育研究・実践を行なっている。

アメリカに本部があるようです。まぁ英語のプレゼンなのでそこまで団体概要を掴みきれませんでしたが、後述するプレゼンの濃さからかなりEdTechに本気の団体です。

彼らが語るのは Future of Learning 未来の教育

全ての問題は教育に帰結するとの考えから彼らはテクノロジーによって世界を良くするには教育にどうやってテクノロジーを入れていくのか(EdTech)を中心にワークしています。

4つのテクノロジーを軸にそれをどうやって教育に応用していくかを語っていました。

・Network Work + Computing
・AI
・nanotechnology
・digital biotechnology


テクノロジーの進化

IBM社が開発した人工知能

IMB社開発のAI ワトソンは世界で上位ランキングに位置する数々の医者が治療を諦めた癌患者を、10分で治癒の方向へ導いてしまいました。
ワトソンは10分で2千万の医療ジャーナルを読破し、その中から最適会を摘出したのです。

「20年後には、私たちは手元に自分の脳と同じ容量のモノを手に入れることができる。」

プレゼンターの予言が、事実に基づいていると確信できる例でした。

最先端の3Dプリンターの稼働

皆さんも一度は3Dプリンターなるものを聞いたことや見たことがあると思います。
僕も3Dプリンターを買って何かモノを作ろうとその設備があるコアワーキングスペースに行ったことがありますが、使用料の高さにビックリして諦めた苦い思い出があります。

その3Dプリンターは最先端では、宇宙にて地球外に住める惑星を構築するために使われているようです。スペースメーカーだったかな?そのような会社が先日NASAと契約して本格的にその事業は始まっているようです。
上場会社であったかどうかはわかりませんが、とにかくもう行くところまで行った感じがありますね。

僕のローテクな頭では翻訳があっても理解が難しかったのですが、とにかく彼らはまず惑星の上に3Dプリンターを設置し、そこからアストロニー〜の速さを超える〜???みたいなことを既に実施しているようです。

うーんわからんでしょう笑 でもすごいエキサイティングな事柄であることは伝わってきました。

3Dプリンターは地球内での物質構築に使用されていると思っていた私にとって、まさか地球外で、人が住める惑星の構築を試しているなんて「ロマンだわ〜!」

マンモスを現代に復活させる?

現在のdigital biotechnologyは、自分の唾液を入れるだけで、自身の生体情報の全てを直ぐにわかってしまうまでに進んでいます。

そのようなテクノロジーを最先端で用いているロシアとアメリカの科学者たちは4万年前の生物、マンモスを現代に出現させようと研究しています。そして、それは理論上可能であると。

なぜこれが「理論上」にとどまっているかというと、現在の象の大きさではマンモスの巨大な体を受胎するに足りないからです。

しかし、絶滅種であるマンモスを現代に蘇らせることがもはや「ハード」だけの問題になっていることには驚きを禁じえません。

将来、「ジュラシックパーク」が現実の世界に実装されるのも時間の問題ですね。


土壌形成

このように、テクノロジーによってシステムが大きく変わりつつある中で、現代においてはその変化を受け入れる土壌がまだ作れていないと、Singularitiy Universityは考えているようです。

土壌形成を支えるものは、3つ

Basic needs(基本的要求)
Ordinarily of Life(普通の生活水準)
Resilience(しなやかさ)

これがあって初めてEdTechも受容可能な状態になるようです。

スペシャリティの遊休と喪失

現代においては、大学で学んだ専門性を仕事に活かしている労働人口はわずか28%らしいです。
海外では基本スペシャリティ(専門性)採用であるので、ジェネラリスト育成型採用をまだ採っている日本ではこの数値は倍以上でしょう。

そして、あるスペシャリティの賞味期限もこの変容の早い現代においては非常に短く1・5年らしいです。
僕のスペシャリティは法律ではありますが、この賞味期限も切れかけているように感じます。習得に6年程かけたものが1・5年で意味がなくなるということは非常に驚きましたが、法律の専門家になることを捨てて、フリーの立場にたった自分の判断はやはり正しかったと安堵させてくれた面もあります。

僕の法律知識は無償でギブし、その対価として、金銭ではなく経験や物、人との繋がりをテイクしようというのが今の私の気持ちですから。それの賞味期限も迫っていることも意識すべきですが。

スペシャリティな専門業務として、ここ5年でほぼ必要なくなる業務として、会計士、医師、薬剤師などを挙げていました。顧問会計士の方がもはや業が継続できないとして引退するのは会社に在職中に目撃してきました。

これには弁理士なども当然加わるでしょう。会社の法務業務に関わっていた時の彼らのローテクの割に料金の高さには僕は憤慨していましたから。
新人の顧問弁護士も然りでしたが。

上記の職業につくには何年もの専門機関での勉強を余儀なくされますが、その賞味期限はもう少しで切れてしまうのです。子供達、何よりその親御さんたちはそれを意識する必要があるでしょう。

 

Exponential Purposeの再定義

産業革命によって何が変わったか?
これまでの産業革命によって変わってきたのは、生産プロセスです。

しかし、これからのSingularity 第4次産業革命によって重要となるのは、連続する指数関数的技術のアップデートによって何を達成するのかを再定義し共有することが大事となります(Exponential Purpose)

なぜなら、この21世紀において行われるSingularityにおいては、洞窟で石器を持って暮らしていた時代から現代に達するまでの2万年の人類の進化と同じ進化を不可避的に達成してしまうのですから。

正常性バイアス

Exponential Purposeの再定義が大事な理由の根拠となる例として、正常性バイアスなるものがあります。

正常性バイアス(normalcy bias)」とは、人間が予期しない事態に対峙したとき、「ありえない」という先入観や偏見(バイアス)が働き、物事を正常の範囲だと自動的に認識する心の働き(メカニズム)を指します。

 

例として、大地震への予防心理があります。
地震は、将来において不可避的に生じる災害です。その点でSingularityと類似性を持ちます。
プレゼンターの方はカルフォルニアに住んでいるそうですが、このハイテックな時代においてそこで地震対策として行われているのは「机の下に潜る」ことらしいです。そして、肩を叩き合いながら、そして人々は肩を叩き合いながら「よくやったな」とその対策を正常と認識していると。

つまり、正常性バイアスをもっと具体的にいうと、人々は地震という必ず来るべきものへの対策として、分かりやすいものにしがみつき、たとえそれが非効率であったとしても、それを正常と捉えてしまう心理です。

現代ではマスダンパーなど、制振技術などが進歩しているにも関わらず、机の下にこもることで対策として満足してしまうのです。

※マスダンパー

建物の最上部などに「おもり」を設置し、おもりと建物の間に生じる力を利用して建物の振動を低減させるもので、動吸振器の一種。揺れているブランコに乗っている人が自らの重心を動かすことで急激に揺れを止める様子を想像すると良い。

このような机の下に潜るような教育ではなく、マスダンパーみたいなものをどうやって学びの中で実践していくかが重要となります。


これからのプラットフォームの重大な要素

これからのライフプロセスは、単に脳に知識を注入するようなものではありません。
螺旋状に渦巻く世界の変容の中で、自分を知った上で、自分に何が出来るかを自己最適化していくことです。

Singularity University ではそのためのプラットフォームを作ることが重要だと考えているようです。

そのためにポイントとなる要素が3つあります。
1.フレーム 2.自己最適化 3.新たなエコシステムの形成

1.フレーム

テクノロジーによって、どうやって現在の瑕疵を治癒していくのか、取り除きたいものを取り除いていくのか
それを考えることが大事です。

今の学びは、学校の「教室」という旧態依然とした物質的プラットフォームの中にあるのではありません。

手元にあるのです。グーグルを使って検索をかけるだけで世界最高の大学の講義を無料で受けることができます。

そのようなプラットフォームのフレームを意識して、教育をアップデートする必要があります。

 

2.自己最適化

この自己最適化が意味するところは、
「自分の生体情報を知ることにより自分の生体の適正に合ったタスクを行える」ことを意味します。

この画像はプレゼンターの生体情報を可視化したものです。

左から、呼吸の深さ、ストレス負荷の程度、眠りの深度を数値化しています。

また中国のある小学校では、生徒の表情の変化、何日後に病気になるかまで数値化され、それを教師が管理できる状態になっています。

このように既に生体情報の可視化は社会実装されているのです。

フロー状態の意図的作出

人間はゾーンに入ることがあります。よくスポーツ選手の究極の集中状態などが「ゾーンに入る」と表現されますね。

MITなどでは音楽によって自分の体を活性化させ、意図的にゾーン状態(フロー状態と仰られてました)を作出することにより、学生の最高出力を出すということが行われているようです。

 

3.エコシステムをどうやって作るか。

現在の教育のエコシステムは以下の通り

左の教師「これをやりなさい」
中央の親「私もやって成功してきたのだからやりなさい」
右の子供「もういいや〜逃げる!」

です。

しかし、これは正常バイアスと同じことです。
人は自分の成功体験を他人に押し付けようとしますが、それが成功したのはその人の個性と時代が合ったからであり、何より自分の成功を証明するための最良の手段が他人に同じことをさせることからすればそれが「成功」であるかさえ疑わしいです。

だから私たちはこの正常バイアスを乗り越えなくてはならないのです。
学びの基礎を再デザインしなければならないのです。


エトセトラ

 

ヒアリング

自己最適化は、ハイテクがなくてもできます。
それはヒアリング。
自分自身に、自分がこの世の中で何が出来るか問い続ける(ヒアリング)により、自分の役割が自然に明確化される、ということです。
そして、自分のヒエラルキーにおいて何ができるかを考えるべきなのです。

快適性

スタートアップの状態で人は壮大な目的を考えがちでそれが原因で身動きが取れなくなったり心が折れたりします。
まずは「自分がそこで快適でいられるか」を考えるべきです。

学習サービスのコンテンツ化

Singularity University では、学びの基礎の再デザインにおいても、自分たちがプラットフォームを持つだけではなく、自分たちのカリキュラムをコンテンツ化して、他者に届ける、というのも行なっているらしいです。
これは少しALTER とも似ていてますね。原則プラットフォームを持つわけではなく、知識を共有化するという点で。

パッションとワークとの近接

情熱と仕事が重なり合っていることが、フロー状態を長く続けるコツです。
そのため、自分のパッションとワークを近接させることが重要です。

例として、プレゼンターの知り合いで、アーティストになりたいという高校生がいたらしいです。ただ親はエンジニアの学校に通うべきで、アーティストは趣味でやったらいいと言ったそうです。

この状態が生じた原因は、親がアーティストを貧乏なものと認識していたことから生じたものです。

そこで、親にiPhone Xを渡してその感想を聞くと「綺麗だ、美しい」という答えがかえってきました。これはアートだと。
そこで答えたのです。このiPhoneを作っている人たちが世界で一番裕福な層ですと。

そこにパッションとワークとの近接のヒントがあります。


5525文字数・・・3時間かかったわ・・・

以上、ルポ記事でした!

 

 

コモディティ型企業と消費者独占型企業①ー金融教育

金融について学ぶ一番のコツは、自分の資産の半分以上を株式投資に回してみることです。

そうすればいやでも経済ニュースに目を配るようになりますし、日々の株価チャートなどもチェックするようになります。

つまり、身銭を切って実際に「経済当事者」となることです。

「バフェットの銘柄選択術」という本は、一定株式投資を行ってきたら、読んで見てもいいかもしれません。非常に面白い!

以下、彼の考えを紹介していきましょう。


ウォーレン・エドワード・バフェット(Warren Edward Buffett、1930年8月30日 – )は、アメリカ合衆国の投資家、経営者、資産家である。世界最大の投資持株会社であるバークシャー・ハサウェイの筆頭株主であり、同社の会長兼CEOを務める。


1.投資対象として魅力的なのは?ー消費者独占型企業とコモディティ型企業

前者は、ブランド価値の高い、あるいは取り扱う製品があたかも独占企業のように強い市場支配力を持っている企業です。
コカコーラ社やマイクロソフト社、アメリカンエキスプレス社などが該当します。

後者は、大多数の企業と大多数の企業と差別化できていない、付加価値の小さな製品やサービスを提供する企業です。
航空会社や自動車、鋼鉄製品などの業界の会社がそれに該当します。

では、投資対象として魅力的なのは?

バフェットは前者であると断言します。

なぜなら、後者は差別化ができていない以上「価格の安さ」のみが購入のメルクマールとなり激しい価格競争に晒されるからです。航空会社、自動車、鋼鉄製品等について、私たちが買うのは「価格」です。その会社のブランドではありません。
コモディティ化するビジネスは熾烈な価格競争の下では利ざやは限りなく薄くなります。
つまり、価格設定力が企業側になく購買者の方にあるのです。

企業は本来企業の価値を高める上で効果の大きい新製品回はうや企業買収に使うべき資金を絶えず現業の設備投資に振り向ける必要があるので、収益が常に圧迫されるのです。
①収益性が低く、事業拡大や収益性の高い事業への参入に必要なキャッシュフローを確保できない
②たとえある程度のキャッシュフローを生み出せたとしても、そのほとんどは現在の地位を守るのに必要な設備投資に向けられてしまう

というのです。


2. コモディティ型企業の特性
❶売上高利益率が低く、在庫回転率が低い
❷株主資本利益率(ROE)が低い
❸ブランド価値がない
❹多数の競争相手がいる
❺業界全体に相当な過剰生産能力がある
❻利益が不安定
❼利益の設備稼働率に対する依存度が大きい

次は、投資対象として魅力的な消費者独占型企業について書きます!

最近の胸に刺さる金言

組織という誤解の場所から離れて、ただ自分と人類を信じている
説明:何十年も変わらない世界に対して怒りと人類という種への信頼(そんなに人間はバカじゃないだろう)という気持ちを表した言葉。

●深く考えていないと、夢は降ってくる
説明:夢を持つことの大切さを複数人で議論してきたところに降ってきた言葉。

●今を生きている人は夢さえ持たない
説明:仮説立てや言語化ばっかの自分には響いた言葉。

●過去を偽ることはダメやけど、未来に対して何か言うのはいいんだよ
説明:他人に見下されるのが怖いから自分を大きく見せようとする僕は、これを聞いて「自分を偽る回数を出来るだけ減らす」と心に決めました。

自分から残されたプライドを折りにいった。そうすると生きているのが楽しい
説明:人には凹凸があります。その凸を折りにいく。それが人を見下す原因になるのだから。

●大人が何かお題目を唱えて教えるべきじゃない。子供たちは、勝手に育つ
俺たちのできることは、環境を整えてあげることだ
説明:偶然に再開した幼馴染の言葉。教育委員会にいて現場で戦っている奴の言葉だから、すごい響いた。

全部ここ数日でいただいた言葉。
素敵な言葉を、本当にありがとう。

こんな社会を目指して。頑張りまっしょい。

発達障害がなくなる日

発達障害は消失します。

厳密にいえば、「障害」の定義ができなくなります。

マイノリティー・マジョリティーの比率が崩れるからです。

このグラフの意味づけが何を救うのか

上記のグラフに人を当てはめるようなこともなくなります
ではなぜ消失するのか?
大きくは2つの要素が関係します。
①雑なラベリング
②人間生体学の進化

1 「発達障害」という雑なラベル貼りがもたらすモノ

現代では「発達障害」の認知はめちゃくちゃに上がっておりクリニックに行く人が増える一方、
その基準が曖昧なため発達障害は簡単に診断されてしまいます。
社会的認知が上昇すれば「グレー当事者」も足を運びやすくなります。
そのグレー当事者が参加して「自分もそうかも」と思う可能性は非常に高い。
なぜなら、そもそも足を運ぶような方は何らかの「解」を求めているからです。
その思いから「解」を求めて診断を受ければ
診断基準の緩和に基づく「雑なラベリング」が行われ 当事者が増えます

「雑なラベルリング」

しかしこれこそが、発達障害を無くす原動力となります。

そもそも「障害」は社会的マジョリティが社会的マイノリティに対して定義するものです。

多数者が「障害者」の立場に立つことは決してありません。
多数者が自らを肯定的に定義するための一番楽な手法は少数者に対してマイナスの定義をすることだからです。
この文脈からすれば「雑なラベリングによる発達障害者の増加」は、実は発達障害を無くす方向に向かいます。
障害定義要件であるマイノリティ性が崩れるからです

2 テクノロジーと人間生体学の発展がもたらすモノ
テクノロジーによって人の解像度が高まっています。この人はどんな特徴があるのか、テクノロジーによるデーターストックも全世界的に進んでいます。
このようなテクノロジーによる人間の生体に関する解像度の高まりがもたらすのは、爆発的な「一次的発達障害者の増加」です

つまり、自分の特徴がテクノロジーによって数字化されたりすることによって、「発達障害の特徴」 に当てはまる人が可視的になります(一次的発達障害診断)。そして容易に発達障害のラベルが貼られます。
マジョリティの地位を脅かされた一次的発達障害者である人たちが自分の尊厳を守るには、こう思うしかないのです。
「これは俺の特徴であって、障害なんてもんじゃない。診断自体が間違っている。」
価値の転換が生じるのです。

3 発達障害が消失する流れ
以上の推論を踏まえれば、発達障害が無くなる流れは以下のようになります。

①現在の発達ムーブメントと人間生体学の進歩によって「雑なラベリング」が横行
② 人口母数に対する割合が変化
③マイノリティと言えなくなる数になる
④「あれ、おれたちはなんで発達障害じゃないといえる?」
「障害」の再定義 が始まる
⑤「普通」が定義できない以上、発達「障害」も定義できない

結局は、多様性がテクノロジーによって可視化される未来の社会の中では、発達障害は「特性」として個人最適の問題として捉えられるようになるのです。

葉の色が「おかしく」見えるのは フィルターの問題

どっちがおかしいかな。

もちろん未来のことは誰にもわかりません。

だからこそ、未来のことを言葉にする価値がある

発達障害の消失 終わり

試験という真剣試合

1 試験という真剣試合
その意義は何でしょうか。

その人の知能指数?知識の熟練度?

僕は 「真剣試合」性を強制的に儲けることだと思います。

何事も「真剣試合」の時がスキルが伸びます。
自分の能力を総動員するとき、自分のコップの中の水があふれ出そうとするとき、初めて人の器が広がります。

 

試験は厳密な監督の下、短時間 自分の最大出力を図るものです。

その試験下でのアウトプット、つまり「真剣試合」の下でのみ
「自分の限界値」を出せます。

「限界を越えようとする意志」をもって挑んだ練習でも出なかった「火事場の馬鹿力」が出る場合もあります。

そして、振り返りを即時に行うことにより、また人間は高みを目指せるのだと思います。

2 真剣試合性を損なうもの

しかし、いくつかの試験では「真剣勝負」の最高のメリットを享受できないものがあります。

メジャーどころだと、TOEICやSPI試験。

受けられた方は多いと思います。

どちらも、自分の解答が合っていたかどうか即時のフィードバックが得られません。

あれって受けている時、最高に楽しい。興奮してるんですね。
僕だけかもしれませんが笑

自分の限界が分かるし、限界を超えなきゃいけないこともわかる。
「試合中に成長する感覚」 真剣試合だからこそ得れるものです。

ただ、その最高の集中力の結果が帰ってこない。

野球などで打率やスコアボードに刻み込まれるべき自分の真剣試合の証が、すぐには自分に返ってこないのです。

TOEICは点数は返ってきますが自己の解答は返してもらえません。

自分の最高だったと思う解答が間違っていた時のショックや集中力が勝った瞬間の選択

真剣試合だったからこそ、振り返りたい。結果じゃなく、自分の最高出力を知りたい。

なんども言いますが、試合の意義は「真剣試合」性にあります。

TOEICが100点上がった結果なんて1ヶ月後には知りたくないんですよ。
どうせ忘れていますから、試験のことなんて。

スコアをつける試験なら、何でそういう結果が生じたのか フィードバックを即時に返す必要があるのです。

フィードバックの即時性がない試験が、試験が本来持つ「真剣試合」性を損なっています。

3 自分にできること

毎日、真剣試合をしていきましょう。そしてその結果をすぐ自分で確認できる環境に身をおきましょう。

会社の中でも、フリーランスでも、起業家(環境的に強制されますが)でも。

能力の最高出力を繰り返していって、自分の器を広げていきましょう。