アントレプレナーシップ教育ーメンバー記事(中山さん)

 

はじめに

現在、「アントレプレナーシップ」の教育指導者になるための講座を受講しています。指導者。先生です。これまで自分には塾講師のアルバイトをしたこともないし、大人にも子どもにも授業をするなんて経験がまったくありませんでした。大勢の前でひとりで話すと言えば、せいぜい社内の業務プレゼンくらいです。受講生の中には現役で教鞭をとられている方もいて、模擬授業では問いかけ方や組み立て方が参考になります。

 

受講の動機は、自分のキャリアアップのため、わが子への家庭教育のためという、ごく自分にベクトルを向けたものです。受講を決めたのはちょうど吉田代表とコンタクトを取りはじめたのと同時期くらい。ALTERに自分の専門性を提供するなら、デザイン面で広報活動かなぁと思っていたところでしたが、奇しくも今ではALTERのプログラムとしてもいずれ使えそうな予感がしています。

 


アントレプレナーシップ・・・どう解釈するか

アントレプレナーシップは、起業家精神、企業家精神なんて説明がよくされています。「シップ」がつくので「精神」となるわけですが、講座では「起業家的行動能力」と解説されました。たしかにしっくりきます。思っているだけではアカンということです。行動まで伴わうことが重要なんですね。

 

書籍や論文でも、詳細まで読み進めてはじめてマインド的な説明に続いてから、「行動」という文言が出てきます。改めて「アントレプレナーシップ」をWEB検索してみると検索結果3ページ目くらいで、コンテンツの冒頭から「行動」と表記するページが出てきました。それほど「行動」に重きを置かれない解釈が多いことがわかります。(※理解を深めるのに、検索結果3ページ目までスクリーニングするかしないかで差が出る、と何かのコラムにありました。見つけたら改めて書きます。)

 

要するに「行動伴わずしてアントレプレナーシップなし」と。


現在の教育現場への実装は?

日本のものづくりがグローバルに通用しなくなってからは、企業、大学をはじめ、徐々に高校、中学へとアントレプレナーシップが教育現場に取り入れられたようです。ですが、成果という点では、先進的な教育が定着している欧米にはまだまだ後れを取っているのが現状みたいですね。実際に、どのような施策が教育現場におりているのか、私自身の体系的な理解はまだまだですが、実情はそのようです。

 

講座では、小学生の段階でアントレプレナーシップ教育をすることで、日本人にありがちな失敗に対する恐れから起業をためらう風土を突破していくことの重要性を説かれていました。教育を受ける年代と授業時間にどのような相関があるかはわかりませんが、少なくとも欧米では早期から起業を職業観のひとつとして子どもに示しており、日本のように大企業偏重志向ではないようです。

 

ここで小学生にもアントレプレナーシップ教育を、と考えた場合、じゃあアントレプレナーシップ教育をきちんと教えられる教育者の教育がいるでしょ、というのが講座の意図です。現在の教員教育ではアントレプレナーシップ教育がプログラムされているかもしれません。では既に今、教員としての教育を受け終わった教員の教育はなされているのでしょうか?教員もアップデートされているのでしょうか?

一部で、義務教育とは切り離されたところで個別にアントレプレナーシップ教育が行われているのが現実なんだと思います。(2020年度からの小学生向け新学習指導要領ではアクティブラーニングをはじめとする変革が盛り込まれています。ここにアントレプレナーシップ教育も包含されているかはよく知りませんので、詳しい方、ぜひ教えてくださいませ。)


大多数の被義務教育者との差別化(第2弾)

仮説として、義務教育の中でアントレプレナーシップ教育が導入されていない、もしくは不十分であるならば、オルタナティブスクール、サードプレイスでのアントレプレナーシップ教育は有効に機能するのではないでしょうか。義務教育のカリキュラムが変わるというのは、時間と労力がものすごくかかります。
子どもにとっていいと思えばすぐに実践できる点は、義務教育の枠外の存在の強みだと思います。そして、待ったなしの状況のような気がしています。これは、子どもたちにとってだけではなく、人生100年時代に突入している大人にとっても学ぶべきことだと。大切なのは、起業することではなく、自分で稼ぐ力、生きる力を身に付け、時代に合わせてアップデートさせていくことだと思います。

 

わが子が観ていたディズニー映画「レミーのおいしいレストラン」で、やけに胸に刺さるセリフが耳に入ってきました。
「誰もが偉大なシェフになれるわけではない。しかし、誰が偉大なシェフになってもおかしくない。(料理評論家アントン・イーゴ)」

誰もが起業する必要は無いでしょう。しかし起業家が辿るプロセスには、サラリーを得るのとは違う、稼ぐ力、生きる力を養うポイントがたくさん含まれています。そのプロセスを知ることは、必然的に義務教育から先の選択肢を増やすことにつながるのだと思います。

自己表現へのアクセシビリティの変化ー(中山さん記事)

 

ごあいさつ

皆さま、初めまして。プロボノとしてALTERで活動することになりました、中山です。オルタナティブスクール、サードプレイスがどのような方々に求められ、利用されているのかを含め、まだまだ知識や経験はありませんが、私なりに感じたことをこの場でつづっていきたいと思います。

 


絵が上手でなくてもデザインはできる時代に

およそ20年前になりますが、私は大学を休学してデジタルグラフィック系の専門学校に通っていました。3DCGやAdobeのPhotoshop、IllustratorなどのPCソフト、Web制作の習得がメインです。生徒は社会人(脱サラ含む)やフリーターがほとんどで、私のような学生は少数派です。それぞれいろんな思惑を持って専門学校に入ったとは思いますが、みんながぼんやりと思っていたことは、「これからはデジタルの時代や」ということでしょう。グラフィックデザイナーとかWebデザイナーという職種がもてはやされ始めたのもちょうどこれくらいの時期(その頃の映画やテレビ、CMでもCGを使った新しい表現方法がたくさん現れました。ディスニーアニメがフルCGになったのもこの頃。)だと思います。※当時はこんなMacを使っていました。

懐かし~。

その中での特徴的な気づきに、概して全員絵が上手いというわけではなかったという点がありました。とはいえ、卒業制作(過去の卒業生の作品含め)はプロ的なクオリティのものもあり、これをもって制作会社へ売り込みに行く人もおられます。デジタル黎明期だったということもありますが、ひとえにデジタル化の恩恵によるものだと考えます。(学校ではアナログ的な基礎が不可欠だからデッサンはしろ、と口酸っぱく言われていました。)


脳内を表現する手段へのアクセシビリティが向上

「習字→ワープロ」のように、美しい文字を紙へ表現するために筆づかいやらの動作による修練にかかる時間が格段に短縮されました。文字の美しさについてはワープロでは「級」「段」の概念はもうありません。同様の現象はグラフィックなら「写植・アートワーク→DTP」、音楽なら「演奏・アレンジ→DTM(打ち込み)」という変革がデジタル化によってもたらされ、専門的技能が素人の手が届く範囲へと広がったと言えます。専門的技能を分解して考えると、手指・身体の動き、師匠による口伝とその理解、特殊な道具、習得に費やす時間、これらの要素が必須で、いくらアイデアや表現願望があったとしても、いずれかが不足していると達成できるものではありません。デジタル化がそこからいろいろハードルを取っ払っていきました。PC、アプリ、プリンタがあれば、マウス操作ひとつで店舗のPOP程度のグラフィックデザインならすぐにできてしまうことは皆さんもご理解いただけるところだと思います。しかもPCやプリンタは汎用的なので、投資も比較的しやすいです。技術的な情報(この頃は掲示板がメイン)もWEB上で入手できます。遠くの専門店に行って、何種類も絵具や筆をかつ必要もないし、画面上でなら何度でもやり直しができるし、「技は見て盗め」的な師匠(いたのか?そんなの)もいらない。つまり、脳内のアイデアをデザインで形にする作業へのアクセスシビリティが格段に向上した、というのが今なのです。PCの性能も上がり、コストもずいぶん下がりました。

 


大多数の被義務教育者との差別化

オルタナティブスクール、サードプレイスを求める方々の一部には、文字を書く、絵を描くといった動作自体が、いわゆる通常の人と比べて困難な方がおられると思います。PCなどのツール環境さえそろえば、そんな方でもデザインは可能な社会になっているわけです。現在の義務教育の中では、専門的なグラフィックツールを学ぶプログラムはありません。ワードなどでもある程度のデザインは可能ですが、よりプロ的なデザイン、精細な表現をしようとするとAdobe系などの専門的なツールが有利ですし、素人との差別化が可能になります。これからの世の中をサバイバルしていくためには他者との差別化が重要です。大多数が受ける義務教育との差別化ツールのひとつとして、義務教育の「美術」という枠組みの中に、オルタナティブスクールではこのようなデザインツールが選択肢として存在すると有効に機能するのではないかと感じています。