既存の社会規範を「採用しない力」と小さな繋がり

 

ALTERの活動は、代表の僕自身楽しんでいます。一番テンション高いでしょう。

また応援してくれる人や交流する方たちも非常に活動的で 、「自身がやりたいことだけやる」ことの多幸感を感じています。

 

ただ、団体の持続的活動には「多幸感」と同時に、収益のビジネスモデルが成立しているという「収益性」が必要になります。

社会的起業家がどうしても欠いてしまう観点が「収益性」で、それでよく代表者がバーンアウト(燃え尽き症候群)に襲われます。

かくいう僕も何回か経験しています笑
社会課題の解決が、団体の収益に直結するわけではないことを何回か思い知らされているのですね。

 

先日傍楽さんの「ぶっちゃけ」というイベントに参加していたところ、

矢守さというキャリアコンサルタントの方ととても気が合いました。
矢守さんはいつか武道館で、現実とバーチャルをごちゃ混ぜにした空間を作りたいそうです。
矢守さんの夢は、1,000人ライブ参加者がいてくれたらその全員が夢を共有できる空間を、音楽で作ることらしいです。

僕は、こういう「おお!」っていうことを語る人を見るのが好きです。

大人になるにつれて、みんな、社会からの圧力で人生に折り合いをつけさせられて「人生そんなうまくいかん。こんなもんで我慢しな」と限界を決められてしまっているを感じます。

もちろん自分で折り合いをつけるのは良いですよ。自分の内発性に基づいて納得して折り合いをつけることは全然良いです。

でも、あんまり周りをみてるとそんな感じに見えない。
「お前はそんなに優秀じゃないだろ」、って周りからいわれて折り合いをつけている気がします。
スコア偏重の学校教育の呪いが、競争比較の文化が、社会がそうさせるのだと思います。

「君はそう言うのか。オッケー。でもそれは僕の人生に採用しない。だって僕の人生だし」っと社会規範を採用しない能力が今必要なのだと思いますね(無論「時として」です)

歴史的にも、既存の社会規範を採用しない人が社会を変えてきました。
今、ビジネス界のトップにいる人もそういう人ばかりです。

別に社会を変えなくても、ビジネス界のトップに行かなくてもいいです。
ていうか、結果も出さなくてもいい。

でも死ぬ間際に「自分の人生を生きた」って言えるのはそういう人だと思うのです。

僕は筋肉の病気や高校の中退、プロレスを通じて、「採用しない」という図太さを無意識につけることになりました。
だって、社会の言う通りしてたら生きれない世界でしたから。

だから矢守さんみたいに想像つかんけど面白そうなことを言う人は好きです。

そっから、気があって、団体の収益のビジネスモデルについて色々お話ししました。

とても優しい話し方をされる方でしたよ〜

 

とても親切にヒアリングしてくださる方であり、色々と僕は知らない知識や新しい提案をしてくださって、「これはプロボノメンバーに欲しい!」 っていうことでスカウト!

 

してみましたが、お忙しいとのこと

残念だな〜と思っていたら

メンバーにはなれないが、今後も団体に継続的にアドバイスしてくださるとのこと
心強い!!

メンバーとしてコミュニティに帰属していなくても、こういった小さなつながりを大切にすることが、人生の豊かにリンクしていくことなのかな、この頃色々な人と繋がって、思います。

これからも、ALTER は色々仕掛けていきますよ〜!

レポ記事と僕の発達障害診体験記:発達障害をテクノロジーで乗り越える  SingularityU Kyoto

おばんです。
今回は当事者である発達障害と興味あるテクノロジーの記事というこで、かなり長い記事になります!

先日 SingularityU Kyoto “Xtrepreneur Mesh Up” #2 に行ってきました。
https://sukyotomeshup02.peatix.com/

SingularityU(以下SU)
は世界的に有名なシンギュラリティ(技術特異点)を研究する、物理的プラットフォームを持つわけではない教育機関。

Impact Hub Kyotoにてよくイベントを開催しています。
だいぶ前にSUの記事も書きましたね。

正直、ゲストが豪華で 1,000円で参加できるイベントじゃない!

それを7人ぐらいの少人数で、アントレプレナーに直接質問なども出来るのだから なんとも希少なイベントです。後参加者の皆さんがみんな面白い。

スピーカーは、HoloAsh, Inc.の岸慶紀CEO。
HoloAshはサンフランシスコに本社を置くスタートアップ。 米国で急増するADHDのためのAI Therapyを開発することで、目には見えていないが、被害を被っている方々を救います。 代表自身がADHDということもあり、彼自身が当事者として問題意識を持って取り組んでいます。2018年4月に会社は出来たばかりですが、Health2.0のLightening Pitchで優勝するなど、今AI×ヘルスケアで注目を集めています。

発達障害の自助会を開いている身としては、テックでどこまで発達障害の問題にアプローチしているのか非常に興味あることもあり参加してきました。

以下、うろ覚えながらレポ


社会が発達障害者を構造的に増やしている

岸さん曰く、米国で使われているADHDの薬のアデノール(日本では聞いたことないけど、コンサータみたいなものと思われます)は、化学式で表すと完全に「覚せい剤」とのこと。

まぁ、それはコンサータ使った人なら分かりますよね。コンサータを処方しない方針の医師の方とお話ししたことがありましたが、同じことを言っていました。

しかもコンサータってすごい高い。1ヶ月で5,000円程度(もっと高かったかな?)、保険外適用。

岸さんはADHDの人が増えているとおっしゃっていました。
そして、それは「製薬会社の意図」に沿ったものとの見解を示していました。

これは後述するように、「ADHDの父」と呼ばれるレオン・アイゼンバーグの「ADHDは作られた病気の典型的な例である」見解と一致していますね

僕の見解も同意ですが、その意味を分かりやすく解説する為に、自身の発達障害診断体験記を交えて話して行きましょう。


吉田の発達障害診断体験記

僕の診断を受けた経験からくる見解は
「被診断者の心理」「医者の診断のラインが滅茶苦茶緩い」
ことが根本的にADHDの人の増加に繋がっている というものです。

順をおって話して行きましょう。

発達障害との出会い

僕は27歳のときに発達障害の診断を受けました。

初めの診断は、京都で有名なクリニックに行ったのですが、言動からどう見ても診断経験が浅い若い女性に、自分が過去に行った衝動的・多動的・不注意のエピソードを集中的に聞かれました。

僕は小学生時代やんちゃでしたし、大学時代プロレスをやっていたり、整理整頓が苦手だったり、傘を95%の確率で忘れたりします(だから傘は基本買わない)。
それでも、宿題を忘れることはありませんでしたし、授業中にウロウロすることなどはありませんでした。

女性の診断士さんは、きっちりしたところは聞き流す感じで、やんちゃエピソードや、プロレスをやっていたことにめちゃくちゃ驚きながら、シートに何やら丸をつけていきます。

僕はこどもの頃のやんちゃエピソードをなんとか見つけるのに必死でした。

その心境が今なら分かります。

そもそも、クリニックに診断に行っている人は「自分はグレーなんじゃないか」という思いを持って行っています。
加えて、「もし自分の嫌なところが薬で治るなら黒と診断してもらった方がいい」とも思っています。

それならば、黒と判定されそうな誘導的な尋問に対しては積極的に自分のエピソードを合わせに行くのが自然ってもんです。

そして、たった1時間半の女性のヒアリングの後に(テストは何もなし)、
先生に会った瞬間に言われた第一声は「あなたは典型的なADHD!薬を出すね!」

今なら「1時間半のヒアリングなんかでそんなことわかるわけないだろ」って言うと思います。
しかし、その時の僕は仕事にもエラーが出ていましたし、上司からも薦められて行っていたので 「これで治るなら」 という思いが強く(別に自分が発達障害かどうかはどうでも良くて薬が欲しかったのです)、すぐに診断を受け入れました。

初めの処方薬は「ストラテラ」 1ヶ月1万ぐらいしたんじゃないかな・・・

 

診断的治療:逃れ得ない罠

しばらく飲んでみるも、2ヶ月たっても効果なしそこでもう一度、クリニックに行くと「効果が出るまで待ちましょう」とのこと。
もう一つのコンサータを試してみたいといったところ、「それは出せない」とのこと。

そこで僕は質問します。
「なぜ(あの雑な)診断で僕がADHDだと断言できるのに、薬で効果が出ないことによって、その診断が覆ることはないのですか」

医者の答えは「診断的治療だから。」
診断的治療とは、「病気の診断の検討をし、それに対する治療をしながら経過を観察し、その治療で効果がみられたら、やはりその診断が正当であ ったとする診断・治療の方法」のことです。

僕はそこで医者を見限りました
なぜなら、「ADHDの診断を受けにきている人」「医者」「製薬会社」 3者の関係性が見えてきたからです。

3者の関係性

ー上述したように、ADHDの診断にきている人の多くは現実の問題から一刻も早く抜け出したいため、「黒の診断を受けることを期待」しています。
誘導的な質問には過去の経験からなんとか「ADHD」に該当するようなエピソードを抜き出してきます。

医者は高い薬を出せば薬価差益(薬の仕入れ値に病院の利益を上乗せすること。)が増えるので、当然値段が高い薬を出すインセンティブが働きます。

製薬会社は「営利企業体」です。精神疾患の患者が増えるほど、薬をたくさん売ることができます。

つまり、診断に関わる3者の望むことが一致してしまっているのです。

ADHDは「作られた病である」という強い仮説がたったのです。

ちなみにそのときは知りませんでしたが、参照記事として、「ADHDの父」と呼ばれるレオン・アイゼンバーグ氏は亡くなる7カ月前のインタビューで「ADHDは作られた病気の典型的な例である」と述べてしまっています。

結局、別のクリニックでセカンドオピニオンを受け、僕は臨床心理士のテストを受けました(心理系の民間資格で最も難関、ちなみに心理カウンセラーは資格が必要でないため「誰でも」名乗れます)。

3回のWAIS検査を受け、「強いストレス下にあると脳のリソースがそこに割かれ、ADD(つまり、注意散漫になりやすい)的な傾向が顕在化する」という診断を受けました。

その先生は本当に親身に診断をして下さったのでそこまで問い詰めませんでしたが、「強いストレス下にあると脳のリソースがそこに割かれ、ADD(つまり、注意散漫になりやすい)的な傾向が顕在化するという論理って、そもそも定型の人に当てはまりませんか? ADDという言葉を抜いたら当然のことを言っているだけなのでは?」 と問いかけました。

先生の答えは「イエス」。

さらに質問。
「定型にも同様に当てはまるのなら、僕が発達障害と診断されたのは、自身を発達障害と疑ってクリニックに来て、その文脈で診断を受けたからであって、結局僕を発達障害と定義づける唯一の理由は「クリニックに来たから」しかないのではないですか?」

先生の答えは「ノー」
僕は先生の真摯な診断に感謝してそれ以上は何も質問しませんでした。

そして、結局僕はADDという診断を受けることになりました。

たどり着く結論

自身の体験記が少し長くなりすぎました。
結論を述べましょう。

発達障害の診断に先述した「診断的治療」という手法が取られている以上、「一旦発達障害の疑いの診断を受けたからには、薬の効果が出なくても、一生発達障害として扱われる」のです。

「ADHDの父」と呼ばれるレオン・アイゼンバーグ氏のいう通り、発達障害は、関係者の構造をメタ的に見ると、「作られた病気の典型」なのです。

 


岸氏のサービス AI Therapy

岸氏のサービスに戻しましょう。アメリカでは学生の25%がアデノールを服薬しています。

そして、なんとハーバード大学の50%がアデノール服薬者です。
なにが彼らをそんなに駆り立てるのかというと
「アデノールの覚醒効果によってテストで良い成績を取る」というもの。
テスト前に服薬し、テストが終わったら副作用でぶっ倒れる。

まさに「覚せい剤」ですね。

アメリカ全体に目を向けると、4,400万人が精神疾患を抱えているとのこと。
しかし、その中でメンタルクリニックへのアクセスコストが非常に高いのがアメリカの現状らしいです。

まず、予約が取れない そして、金額が非常に高い(4分ごとに、200〜300ドルだっけか?間違ってたら岸さんすいません!あとから正確にヒアリングします)。
確かに、貧困層には絶対に手が届かないですね。

そこで、岸さんは、AIでセラピーができるアプリを作った。
これが紹介動画

chatboxというアプリに今は力を入れてらっしゃるそうです。
ユーザ使用数はアメリカで急増中とのこと

名前は「Nao(ナオ)」。

最初に自分の今の感情を選択して、自分の今の気持ちをNaoに向かって話す。すると自動的に話した内容を書き起こししてくれる。このコメントをプライベートにするかオープンにするか選択でき、投稿毎に名前が変化する。アカウントというものが存在せず、すべて匿名であるので弱音が吐きやすい状況にしている。

人間のとにかく気持ちや言葉を吐き出したい欲求にはAIチャットボットが対応して、ディープな悩み相談には人間が応答するという。当然ここもボイスチャットなので血の通ったコミュニケーションで相談者の心にじんわりくるようになっているそうです。

「音声チャットにはテキストにない深いコネクションを感じることができる良さがある」

また、キャラも複数あり、異なる性格を持つAIキャラは、現在3人いるようです。

岸氏の理論によると、穏やかに会話を進められる応答の条件には

・共感の表現をする
・ギャップの理解
・議論は避ける
・自己効力感を上げる

といったものです。
これがユーザーのモチベーションを引き起こすのを手伝ってくれるとのこと。
つまり、チャットによる表現(アウトプット)→自己の問題を言語化していく→自己発見に繋がるというものです。音声から感情を読み取ることも進めているそうです。


岸氏のサービスが「自助会の限界」を超えるか
現在、発達障害の「自助会」は各地で増加傾向にあります。
僕自身、日本で一番大きい発達障害自助会団体さかいハッタツ友の会の中の京都の分会のあいしんくリーダーとして自助会を主催しています。

岸氏のいう、表現(アウトプット)→自己の問題を言語化していく→自己発見に繋がるということは、僕自身が自助会で歩んで来た道でもありますし、自身が主催する自助会 あいしんくのポリシーと同じです。

過去の記事でも書きましたが、コミュニティでアウトプットをし続けて行くことによって、自分をメタ認知できるようになるのです。自助会の存在意義を僕はそう捉えています。

・共感の表現をする
・ギャップの理解
・議論は避ける
・自己効力感を上げる

も、あいしんくの母体団体であるさかいハッタツ友の会での各リーダー遵守する規約で同様のことが書かれています。

自助会は物理的プラットフォームによって行われますが距離的な制約は付きまといます。

この問題は、京都の丹後で北近畿ムーンという自助会を開催されているKay氏と一度話したこともありました。

岸氏はそれを「AI」「アプリ」というテクノロジーを使うことによって、距離的な制約を取り除こうとしています。

では、岸氏の現在のchatboxのサービスが「自助会の限界」を超えれるか

前提として言っておきますと、岸氏のサービスが発達途上であることは承知していますし、岸氏の事業も非常に社会的意義があるものとして応援しています。

しかし、結論として、難しいと思います。

なぜか。

AIキャラは「人生の文脈」を持っていないからです。
AIにはなく、人間に固有にあるものとして「人生の文脈」があります。

AIのキャラは次の瞬間には生み出すことができます。
しかし、人間は様々な偶発的事象を積み重ねてきてやっと今に至るという「人生の文脈」があります。

発達障害の当事者にも、発達障害のエラーで苦しんだ「人生の文脈」があります。
自助会のリーダーも当然、発達障害のエラーで苦しんだ「人生の文脈」があります。

そして、何より秀でたリーダー・自助会のアドバイザー的参加者に必ず共通するのは、発達障害のエラーを現実の試行錯誤によって今の自分を認めることができるようになった、という「文脈」があります。
ファシリテーションのベクトルは少々違えど、必ずこれは共通する要素だと、断言できます。

・共感の表現をする
・ギャップの理解
・議論は避ける
・自己効力感を上げる
ためのダイアログは、最適にプログラムできそうに見えます。

しかし、参加者にとっては、そのダイアログ自体が「刺さっている」のではありません。

自助会の参加者に刺さっているのは、自助会のリーダーや他の参加者の発達障害のエラーで苦しんでもなお現実の試行錯誤によって今の自分を認めることができるようになったという「人生の文脈」の上に成り立ったダイアログやテーチングなのです。

自助会でよく言われることですが、「医者があなたを救うのではない」 ということです。
なぜなら、「当事者」としてのエラーの経験がないから。

皆さんは、
禅の修行をしたわけでもない禅僧の講義を聞けるでしょうか?
陶芸家でもない人の陶芸評論に耳を傾けるでしょうか?
投資の失敗経験のない投資家のアドバイスに従いますか?
起業したことのない人の起業論に耳を貸すでしょうか?

医者は「西洋医療の中での知識」があるだけで、エラーの苦しみを知りません(しかも西洋医療の中では発達障害の原因やその直し方も判明していません)。医者の方全員を否定するわけではありませんが、彼らは本やフォルダみたいなもので、単なる参考資料にしか過ぎません。

参加者に刺さるダイアログが成り立つのは、「当事者」としてエラーした経験という「文脈」があるからです。

ところが、現在のAIはそれを「再現できない」。なぜなら、現在のAIは積み重なった「エラー」という偶発性の産物を排除しているからです。

実際、岸氏のアプリのユーザーのなかで、一日6時間もchatboxに話しかける現象も確認されているようです。これはもはやダイアログではないでしょう。ただの独り言です。(もちろん、岸氏もそのことを認識し、その問題解決のために尽力されています)。

何十年もエラーと向き合った経験がない、今生まれた最適化されたAIキャラとのダイアログが、現実の世界でエラーと向き合っている人間に刺さるとは、僕には思えないのです。

 


限界を超えるとき
岸氏のサービスはモバイルデバイスを用いることによって、自助会の物理的距離制約を取っ払うことができています。

あとは、サービスに 偶発性のある人生の文脈 を持たせることが出来れば「自助会の限界」を本当に超えれると思います。

AI と 人間特有の偶発性のある人生 は矛盾しているように見えます。

しかし、AIのキャラが新たに一から生みだす必要はないと思うのです。

AIのキャラを、「当事者」としてエラーしそれを乗り越えた経験という「文脈」をもつ人間をトレースした上で、そのAIキャラが複数存在するチャットボックスで仮想コミュニティを作り、それを複数用意すれば、偶発性のある人生の文脈を再現することは可能だと思われます。

重要なのが、そのキャラが「最適」を目指す必要がないということです。

そもそも「最適」な人間などいません。最適な「人間」とのダイアログなど成立しません。

ユーザーは、「最適」なダイアログを求めているのでしょうか?

そもそも心地よいダイアログというのは「自分自身の努力」なくしてあり得ません。
現実社会で、自分が気持ちよくばっか話せるコミュニティなんてないでしょう。

ユーザーは、複数ある仮想コミュニティの中から一つを選んで、自身で表現し、その中でも最適でない経験をしなければなりません。
人間が必ずしも分かり合えないことを経験しなければなりません。

自助会が複数存在するのもそのためです。
用意されたコミュニティの中で気持ちよくなっているだけでは何も進まない、しかし、コミュニティで疎外感を感じるだけで意味がない、そこでコミュニティを複数用意することでポートフォリオを組むのです。

「当事者」としてエラーしそれを乗り越えた経験という「文脈」をもつAI人間が集まった複数の仮想コミュニティが複数存在すれば、ユーザーはそこから選んで、表現の場を選べば良いのです。

これが実装される時、岸氏のサービスが自助会の限界を超えるときだと思います。

 


終わりに
AIが持つ強みは最適解を取れることであり、人間が人間である理由は「偶発性」にあります。

今後のAIサービスで人間を再現するときには、「偶発性」をどれだけ再現できるか によって本質的な問題解決に解決できるかどうかがポイントになってくるでしょう。

SingularityU Kyotoでは 毎回トピックが変わります。
次回が楽しみですね〜

ではでは、おばんでした。

不登校の親の会

 

はじめに:不登校という経験

私は、高校を半年で中退しました。

普通教育のレールを外れたとき、はじめて「世界の広さ」を感じました。
そして、自分の人生をどうデザインするかを真剣に考えました。

自分で考えて「選択」する自由を手に入れた、と同時に、自分の選択した結果は誰にも言い訳できないという「責任」を痛感したのです。

色々と挑戦・失敗を繰り返しましたが、その時期に自分で「選択」し、自分で「責任」感じ、自分の「存在」をじっくり考えることができたことで、ブレない自分の軸を形成できたと思います。


不登校とは何なのか

本来登校は「手段」であって、「目的」は学習にあります。

無理やり学校に体を引きずっていっても、それにより「学習」が達成されるというわけではありません。

ニュース等メディアは不登校をネガティブに取り上げがちですが、本当にそうなのでしょうか?

不登校をネガティブに捉えることが本質的な問題の解決に向かうのでしょうか?

今一度、メディア等の情報に押しつぶされず、自分たち地震で不登校について考えることが必要なのだと思います。

 

1 チェックイン(1時間)

①見えない共通点

内容:2人1組になって2分以内で共通点を探る。競争。

効果:

目が合うことからコミュニケーションが始まる。

共通点を探すには質問が必要。その際に目を見ることになる。ここからコミュが開始する。

また、共通点を見つけていくことで場の赤の他人感を除いて心を聞く体制にする 。

 

フィードバック:非常に盛り上がった。
その後にゲームにどういう意図があったかを主催者側から説明するのも大事だが、参加者からどういう感触があったか、実際に聞いてみるのもこちら側の意図しないフィードバックを得られる点があった。そこにも時間は割いていくのもいい。

 

②「ポジティブ3か条」

内容:紙に箇条書きで最近で嬉しかったこと、3つ書く

その後、円になって一人ずつ箇条書きを読むだけ(3週)

効果:これは子どもへの声がけで顕著に現れる。見方を変えれば褒めれることを叱っていることがよくある。 

事象に対して観測点を変えてみることで実はそれがポジティブな面もあることに気づける。

また、ポジティブな面があったことにも気づける。

ポジティブな態度は事態を進行させる。ネガティブな態度は物事を変えてはくれない。

 

フィードバック:非常に盛り上がった。

今回は参加者が少数であったため、箇条書きを読むだけでなく、その理由を話させてあげる時間もあった。どちらかというと、みんな理由まで述べたい感触を得た。

時間があれば理由を聞いてあげるのも一体感を高めるのに有効。

 

2 インタビュー 不登校経験者からみた「不登校+輪になって自己紹介・お悩み共有(2時間)

 

インタビュアー:亮さん  スピーカー:吉田(ALTER 代表)

質問がある場合には、参加者に事前に渡しておく付箋に質問を書いてもらって、横の人に送ってもらい、それを亮さんに集約して、吉田が適宜答えていく。

 

フィードバック:これを初めようとしたときぐらいから、山下夫妻が参加(一応チェックインもしてもらう)。

 

山下夫妻の子供の状況:上記の通り。夫妻としてはプロゲーマーという夢に対して悲観的(ゲームに偏見?)、どちらかというと、子供さんに親が過干渉しているという現状。
親と子供の関係は良好ではない。特に父親。

 

所感:吉田の経験や中山の見識などは、論理立ってはいるが、親側からの不登校経験による知がないので、少し自分の意見を全部吐き出せない感覚を得た。
 そこで、2代に渡って子育てをしてきて、かつ、子育ての失敗を俯瞰的にみることができている多田さんに話を振る。

 多田さんの経験に基づく知識や包容感のある言葉が結構効いたようで、最後には涙されていたのを見て、吉田(不登校経験者)、中山(これからの教育を考えながら子供を持っている)、多田さん(実際に2世代に渡って教育の辛さ・失敗を経験してきた)という 三者三様、異なる3世代、論理寄りと感情寄り という異なる観点からのアドバイスは効いていたと感じる。

 

3 休憩(10分程度)

 

フィードバック:吉田はバテたので、休憩は取るべきだった。意識して取るべき。

 

4解散

 

自己承認欲求は捨てられるのかー強いられた反射

おばんです。

社会を見渡せば、「自己承認欲求を捨てろ」「自己肯定感」「自分の好きなことで生きていこう」

などなどの言葉がバズっています。

自分を構築している色々な情報を取得する機会が増えてきて(SNSなどの普及やチャネルの増加、既存の価値観を否定して成功している起業家)、自分とは何かを考え直すスイッチが入ったのかなと思います。

コアワーキングスペースとか行くと大体これらのワークショップですね。

でも逆にそこの価値観に触れて悩んでいる人とか見かけますね。

自己肯定感はまた別の機会に書くとして、今回は「自己承認欲求」について記事にしたいと思います。


自己承認欲求は善か悪か

結論、めんどくさいものだと思います。

ただ、悪とはいえない。

なぜなら、その欲求は「反射」だから。


脊髄反射の脊髄抜け

常に成果を求められ、それを可視化されて、他者と比較される世界に生きている私たちは、「結果」が出た瞬間に他者からのリアクションが入ってきます。

例えばTOEIC

英文に関心しながら問題を解いていても、時間がくれば取れあげられ、点数という「結果」が送られてきて、それによって他者から「英語ができるんだ」or「出来ないんだ」というリアクションがきます。
それにより自分のテンションが上がったり、または落胆したりしますよね。

楽しんで解いたその「過程」には他者からのリアクションはきません。

結果より過程が大事とはよく言いますが、
他者からのリアクションが大きいのは明らかに「結果」の方です。

学業も会社の仕事の評価も大体はこの流れなのかなと思います。

そして現代において、社会から自己承認される一番のテンプレートは「結果で示す」 です。

 

そんな状況の中、他者からのリアクションが大きい「結果」の中で育ってきた人間に、
「自己承認欲求を捨てろ」と言うのは

「今までずーっと結果で示せって言ったけど、あれはウソね!やっぱ自分の心の声を大事にしていこ!それが正解!結果は2の次!ファイトー!」

と言っているみたいなモノです。

・・・・・・・・!?

 

そうです。

これは考え方の転換の問題ではありません。

脊髄反射の転換の問題なのです。

言うまでもなく、反射は「無意識」です。
体が勝手に反応するのです。

考え方ひとつで変わるものではないのです。

脊髄抜けって言われても抜けないでしょう。

自己承認欲求は捨てれるものではないのです。


経験を上書きする

自己承認欲求はいわば、社会構造によって作られた「反射」です。

これを「欲求」という、自己を欲の塊みたいな言い方で表現されるのは、僕は酷だと思います。

なぜなら「社会が形成した反射」だからです。

しかし、自己承認欲求は強いままではやはり生きづらくなります。

「過程」という多幸感にしたがって行為するという最高の時間を無視し、自分の出した「結果」が社会から承認されるまで多幸感を得られない(しかも承認されるとは限らない)ということになるからです。

人生の時間の中で、多幸感の時間を削いでしまう。

しかしそれは「捨てる」という性質のものではない。
反射だから。一度反射したことを人間は考えによっては捨てられない。

 

では反射たる自己承認欲求をどうやって処理するか。

さらなる「経験」で上書きすればいいのです。

人間の反射は「経験則」によって構築されます。小さい子がやかんを熱く思わず触ろうとするのも火傷した「経験」がないからです。

人と交わるのが苦手なのは、過去コミュニケーションで辛い「経験」をしたからです。

自己承認欲求を捨てろ という言説を正確に述べると、
「自己承認欲求を形成してきた経験を上書きしていけ」ということです。

すぐに変われる訳ではありません。なぜなら経験値という物量の問題だから。

だからこそ、焦る必要などないのです。

楽に生きてけ〜

おばんでした。

PS:12月22日のALTER のイベント 空きが有りますのでお申し込み待っています!フェイスブックからでも参加申し込みできますよ〜

関係人口の「どこで」は、「どこで学ぶ」

秋田の朝日テレビさんから受けたインタビューが放送されました
※1分5秒ぐらいから

秋田の朝日テレビさんから受けたインタビューが放送されました※1分5秒ぐらいからあいも変わらず酷い顔・・ クマが凄いわ経緯は関係人口プログラムに参加したことからです。関係人口は、今後の人口減少社会において、労働力・消費の減少を解決する一つの具体策です。つまり、定住人口ではなくよりハードルの低い滞在人口でカバーするというもの。今回は3日だけであったけど、より長い滞在であればあるほど良い「滞在人口」といえるようになる。関係人口は人口減少だけでなく未来の教育にも大きく可能性を与えるものです。それは子どもの教育プラットフォームの選択肢を増やすにも繋がるのです。つまり、好きな季節に、快適なところで教育を受けれる可能性がある。気温なら夏なら北だし、冬なら沖縄でも良い。食べ物で選んでも良いし、自然で選んでも良い。もちろん教育内容でも。しかし問題なのが、子どもの転学手続が煩雑であることもし教育行政がテックで手続を簡易化できれば関係人口は成功し得ると思います。

Satoshi Yoshidaさんの投稿 2019年12月5日木曜日

フェイスブックにも同様のことを書いていますが、大事な視点が抜けていたと思うのでもう一度記事にしたい。

 

関係人口を説明しますと、簡単に説明しますと
今後の人口減少社会において、「人口を共有化」することによって労働力・消費の減少を解決するというもの。

つまり、定住人口ではなく、より心理的ハードルの低い滞在人口で労働力・消費の減少という事態をカバーするという政策です。

 


関係人口の真の強み

しかし、関係人口がもたらす人口の共有化は、労働力の減少、消費の減少にどれだけ有効であるのか、一度考えてみないといけません。

国の政策バズっているトレンドほど、一度自分の頭で考えてみる必要があるのです。
なぜなら、多数派同調バイアスにより、その論点において「思考」するという最大の労働サボってしやすいからです。

労働力の減少と消費の減少に対して有効か?

労働力の減少において、未来においてはロボット工学の発達により、その減少が問題になる時期は一時期に限られるでしょう。

また、消費の減少も、デフレ化(消費が冷え込んでいる状態)で消費増税を行うという、マクロ経済レベルでベクトルが狂っている状況では、「人口の共有化」は強い解決策にはなり得ないでしょう。

そして何より、マクロ的な視点では関係人口は好ましいものではありますが、
ミクロ的な視点、つまり人々の日常生活レベルではそれほど強いインセンティブが働きにくいという問題があります。

皆、目の前の日常と戦っている中で(強いられている)、どれだけの人が日本経済全体のことを考えてマクロ的な人口減少の問題を考えられるでしょうか?

人々が苦しい状況にいる中では、高尚なお題目は聞こえずらいのです。

目の前の苦難に対して直接的なインパクトがある政策が求められるのです。


12年間、親と子どもが向き合う日常

では、関係人口は目の前の苦難に対して直接的なインパクトを与えられないのでしょうか?

切り口を変えれば、可能だと思います。

それは、教育 というミクロレベルの切り口。

12年間、親と子どもが向き合う日常です。


関係人口は 「どこで」 が強い 

関係人口の労働、消費を「どこで」するか

この「どこで」が、実は大きく教育に関わってくるのです。

関係人口がもたらす人口の共有化によって、

好きな季節に、快適なところで教育を受けれる可能性がある。

気温なら夏なら北だし、冬なら沖縄でも良い。

食べ物で選んでも良い。

自然で選んでも良い。

もちろん教育内容でも。

つまり、子どもの教育プラットフォームの選択肢を増やすにも繋がるのです。

「どこで」教育を受けるかが、自由化される可能性があるということは、まさにオルタナティブラーニングです。

 

関係人口の「どこで」は、「どこで学ぶ」

に繋がるのです。

   どこの木で学ぼうか
どこの木で学ぼうか 色んな木の中で

 


転学手続きという「足かせ」

子どもが、四季に合わせて、学校を選べるなんてとってもロマンがあるじゃないですか!

しかも、彼らにとって一つの学校が、彼らにとって唯一の世界になることはなく、よってイジメなどの社会的死も免れることが出来ます。

しかし問題なのが、子どもの転学手続が煩雑であることです。

基本的に各都道府県市町村によって子どもの出席状態は管理されていますが、それが異なる地域において共有されていることはありません。

違う地域への転学手続だけでも膨大な事務処理が必要なのが現状です。

しかし、現代の情報技術社会において、そもそもそれは「解決可能」なことです。

データーベースで一元管理すれば終わりです。

教育行政はこれを「難しい」と設定してしまうかもしれません。

しかし、難しいという言葉は魔法の言葉です。

その言葉だけで、

人は脳が萎縮し、難しい→先送り→やらないという行動をとってしまうからです。

難しいという言葉を解剖すると、

実現に向けて処理するタスクが多い  ということを意味しています。

タスクが多いことが、すべきことに取り組まない理由にはならないでしょう。

 

もし教育行政がテクノロジーで手続を簡易化すれば、関係人口は、オルタナティブラーニングを実現できる素晴らしい政策となるでしょう。

 

PS.12月22日のイベント!絶賛、受付中です!

ご質問があればALTER のフェイスブックのMessageまで!

 

義務教育と不登校を「発達」の視点から考えてみよう with あいしんく

 

Twitter、facebook等のSNSからALTER 公式サイトからALTER のチラシ・ビラから友人・知人の紹介あいしんくムーンからその他

法律を知ることによるメリット:民法

うう・・・最近、寒くなってきましたね・・・

京都に休まるシーズンなんてないわ・・・

今日は、法律を知ることによるメリットを実体験を通してライティングしていきたいと思います。

僕は法律を大学院まで勉強したのに、今は教育プラットフォームの構築に関心の舵を切っています。

それでも法律を学んだことによってグッドな価値観を持てたと思っているので、
少しでも法律を知ることのメリットをお伝えできればと思います。
義務教育過程でも、法律は具体的に知っておくべきだとも思っています。
(現代文より、民法をサブジェクトにした方がいいとも思っています)


B to Cの罠から逃れることが出来る。

法律を知っていれば、困難な事態に見舞われた時に大体エスケープできます。

サービスやプロダクトを購入する時、必ず民法の適用があります。
しかし、B to Cの契約では必ず業者が得をするような契約内容や手続きが踏まれるのです。


ある携帯会社の対応

僕が一番驚いたのは、某auさんのiPad 購入の際の手順。

契約の締結の要件は、意思表示の合致です。
つまり、僕がこれを買いたいと「申し込む」意思表示をし、相手方がその意思表示に「承諾する」という意思表示をするという、合致により契約は成立します。

某auさんでは、僕はこのiPadが欲しいと「申し込み」して、代理店さんがではこの申込書にサインしてくださったら売りますと「承諾」をします。

しかし、ここで大きな落とし穴です。
契約内容は、その契約書の内容に拘束されます。そこに意思表示の合致があるとされるからです。ですから、必ず契約書の内容は把握した上での申し込みをするのが公正な契約の前提条件となります。

しかし、某auさんでは「申込書」にサインすることをまず求めて、契約書はその後にしか見せてくれないというのです。

バカな!!
それでは、僕は某auさんの決めた、消費者にどれだけの責務を負わているのかをわからない契約を締結するということを求められるという、まるで目隠しでサインさせられるみたいなことを要求されているのです。

その場で「申込みをする前に、契約書の内容を見せてくれ」とお願いしましたが、「機密なので」と見せてくれません。

挙げ句の果てには、パンフレットを見せて「このプランでの契約内容となります」という始末。

「いやいや、そこに僕の負う責務や解約条項、損害賠償条項など何も書いていないでしょ。契約締結の証拠として残るのは契約書なのだからそれを見せてください」

と言っても、あたふたするばかり。最終的には店舗長らしき方が出てきてよくわからん説明をしていましたが、結局は見せてはくれませんでした。

もちろん、買わず。

2年前ぐらいですかね。

携帯業者が散々行政指導をくらっているのも当然でしょう。


ある航空会社の対応

また、格安航空会社(某ピーチ)ではよく、キャンセル代全額返金不可となっていますが、あれも直前ならわかるのですが、2ヶ月ぐらい前のキャンセルで返金不可となるのはそもそも不合理です。

なぜか。

キャンセル代全額返金不可という条項の趣旨は、航空会社がそのいきなりのキャンセルによって生じた空席について本来他の人を乗せられたのに乗せられなかったという「機会損失」が生じるからその損害分は填補してね、というものです。

これは理にかなっています。

しかし、2ヶ月前だとどうでしょう。
某ピーチさんは、ゆっくり他の乗客にその空いた席を売れば良いだけです。
つまり、「機会損失」が実質的に観念できないのです。

それでは某ピーチさんがなんのリソースを割くことなく、利益を2倍取れることになりかねません。

しかも、某ピーチさんはカスタマーセンターの電話が一生繋がらないってくらい繋がらないです(実際一回も繋がらなかった)。

これは、契約締結の前提条件としてカスタマーセンターが設置されていることを安心材料としている消費者にとっては不利益です。

契約締結の信義則(民法1条2項)になんらかの形で反しているでしょう。

最終的に便の振り替えをしてもらいましたが・・・それまでめちゃくちゃの労力を割きました。

一生乗りません。


企業法務をしていた僕が言いますが、企業は法律を知っている法務スタッフを抱えています。それに基づき有利な契約内容な契約手続きを構成します。

つまり、法律知識にB(ビジネス側)とC(コンシューマ側)で圧倒的な差があるのです。

民法は少なくとも、必修科目にするべきなのです。

 

はぁ〜〜嫌なことを思い出してしまったぜ!!

ルポ記事:「ポジティブな中卒」フォラームに参加!

みなさんこんにちわ!

最近、色々と飛び回っている、吉田であります。

いやいや、教育にフォーカスしている人ってほんと素敵。

熱量が会社にいた頃と比べて全然違う。ちょっと義務教育にキレてる人も多いですからかね笑

さて、今日は阪上 由香さん主催の大阪西成開催の「ポジティブな中卒2」というフォーラムに、ALTER の代表として参加してきました。参加者は全員事業者。

いきなりはじめに意見を求められたりで、なかなかエキサイティングな経験でした。

阪上さんは、NPO法人 FAIR ROADの代表。

いろんな場所で子供達のサードプレイス作りをされている方。

居場所づくりの天才。

話してみてそのエネルギッシュさから「ああ、これは居場所作れる人だわ!」と感じざるを得ない!パワーでした!

さて、ちょっと会議に出てきた意見を少しまとめていきましょう。

ちょっと辛辣な記事になるかもしれませんが、リスペクトがあるからこその記事だと、前置きしておきます。


教育制度のoutdate

パネリストはお二方。時間の関係で田中俊英氏という方のトークに乗せて、フォーラムの中身がどうであったか紹介していきたいと思います。
(田中俊英 一般社団法人officeドーナツトーク代表。大阪大学大学院で「臨床哲学」を修了。)

おっしゃっていたのは、現在の教育制度の疲労。

本当に有効な教育システム、寺子屋(子供十人に一人の変な人格者の先生)
おっしゃっていたのがまず印象的でした。

そもそも義務教育制度は、富国強兵の名の下、戦争でクリエイティブに脳を使わない、標準的な知性を持った従順な兵士を作られた経緯があります。ランドセルとかセーラ服とか軍用の物ですし。

それから日本は戦争に負けますが、今度は経済大国にならなければならなかった。
そこで、今度は、学校は標準的な知性を持った従順な企業戦士が育成に使われました。

経済大国になった後の日本では、義務教育はまたその目的を転換しなければ行けなかったのですが、ところが政府はそれをしませんでした。

まあそれが平成の時代が「敗北」と言われることにも繋がっていきます。
クリエイティブな人材を出せなかったんですね。

田中氏は義務教育は4年くらいでいいとおっしゃっていました。

僕はどちらかというと、義務教育の身体拘束時間の長さを問題視しているので、学校は4時間ぐらいでいいという考えでしたので、スパンに着目されているのは新鮮でしたね。

また、田中氏は日本人は変化が嫌い。歴史的にみても国を劇的に変えれたのは、「戦争」と「外圧」のみ。と主張されていました。

これらのことも義務教育のoutdateを起こしたのでしょう。


引きこもる要因

引きこもりの一番の要因は、1.就労 2.大学 3.不登校らしいです。

僕もそれは感じます。就職に失敗したり、会社に失敗したりして家に引きこもる人は発達障害界隈でも問題になっていますから。

社会に出ると、社会に出るときに、人間は自分の「労働市場の価値」を否が応でも知ることになります。

楽観主義的(健康的なリスクをとって失敗を恐れない人を言います)な人、
もしくはなんとなく自分の考えなしに他者に合わせられる人(こういう人はそもそも今後のAI労働市場において価値が下がる危険がありますが)

前者は「労働市場における自分の価値」がたとえ低くても肯定的に捉え直して社会では生きていけます。
後者は・・・・まあなんとなく生きていける「素質」を持っているのでしょう。
(特にディスっているわけではない。)

それができない人は、社会から拒絶されると、悲観的に考え、他者との接触を避けるようになります。

そういう意味では、「就労」の時点で、自身のことをよくわかっている人間に「教育課程」でアップデートされていることが必要です。

ALTER のオルタナティブスクールも 10代で自分でサービスやプロダクトを作れる人材づくりを目指しているので、勉強になりましたね。


教育のイノベーションではなくアップデートが必要かつ有用

あと、田中氏は『いきなり教育構造を変えると「揺り戻し」がくるとおっしゃって慎重に変えていく必要がある。私は20年前から教育改革を訴えているのに一向に変わらない』と仰っていました。

僕は違う意見を持っています。
それは、EdTechの存在です。

昨年、edtechの投資は、過去最高の95億米ドル超え、前年から30%増加しました。

すでに5億米ドル以上の価値がある教育市場AIは、2024年までに60億米ドルを超える予定です。

なぜ、これほどの巨額のお金が動いているのか。

それはAIによるシンギュラリティがくることが確実だからです。
テクノロジーは既に全ての問題を解決してしまう力を持っているのです。

教員などの人的リソースや教材などのオープンソース化、またログを用いた個人最適学習は実際に海外では実装されています。

後は、そのテクノロジーの受け皿が必要なのです。
そして、それは民間が収益モデルを確立すれば解決できるものです。
(ALTER はその収益モデルが見えないから困ってハイいるのですが笑)

まあ、とにかく教育はいやが応なしに変わります。
揺り戻しもありません。

ただ、その教育を「イノベーション」と定義すると、田中氏のいうように教育変革はスロウになるでしょう。
なぜなら、イノベーション(革命)には必ず、既得権益との衝突が含まれるからです。
日本の公教育組織の頑強さからすればイノベーションは適当ではありません。

ではどうするか、「アップデート」と定義すればいいのです。

現在の、教育マーケットでは、義務教育という柱一本しか立っていない。

これではその柱が傾いているかどうかもわからない。
その比較のために、他にもう一つオルタナティブ教育という柱を立ててあげればいいのです。

別に義務教育という価値を否定する必要はないのです。
2つの教育の柱を立てることにより義務教育とオルタナティブ教育の各々のいいところが可視化できてきます。また、子供たちも自ら教育プラットフォームを選択することができ、それに付随する責任を感じることができます。

これは、既存の教育を破壊するという方向に向かないので、既得権益とスクラムを組むことができます。そもそも義務教育の中の人も問題意識を感じている人はいっぱいいます。その人たちとスクラムを組むことができれば、対立なしに教育改革ができます。

日本人は「変革」を嫌いますが「協同」は好みます。
そこを生かすのです。


学歴信仰は一瞬では消えない
何かポジティブな中卒から外れた議論になっている気がしないでもないですが汗
パネリストのトークの後は、オープンディスカスの時間。
テーマは「教育制度は疲労してるかどうか」いきなり阪上さんに意見を求められたので、びっくりしましたが、色々意見を言ってきました。
当然教育制度は疲労しているし、学校自体、社会性を育てるコミュニティとしての役割を残す以外は、学問的存在意義がないと発言しました。

というのも、僕は高校を中退したので、一時期中卒になりかける時期がありました。ただ、それでも立命、慶應と進学しました。しかし、これは誰からのティーチングも受けていません。全て独学です。

田中氏から「なぜ、学校に存在意義がないと言われているのに、進学したのか」という鋭い質問

僕の答えは「自分のパーソナリティに未だ自身が持てなかったのでブランドを取りにいくという、生存戦略上の決定」。
いまだに学歴信仰はあります。今「学歴は意味ない」という言説が流行っていますが、学歴信仰を否定する論者は、皮肉にも全員、高学歴です。
そして、彼らの言葉にみんなが耳を貸すのは「彼らが高学歴」だからです。
田中氏も大阪大学出身。だから彼はパネリストとして権威性を持って発言できるのです。結局、学歴信仰は一瞬で消えるものではなかったということを僕は直感的に知っていたのだと思います。
それなら「慶應」というブランドを取りに行って、自分のネームプレートを作り上げるのは生存戦略上、「あり」です(立命は不十分です、明らかに)。

あと色々話しましたが、ちょっと書ききれないなぁ笑


阪上さんのやられている取り組みに今度参加させていただくことになりました〜

今から楽しみ〜 何をするんやろ!

 

ルポ記事: Models of Impact 

みなさん どうもです〜

最近、昼夜逆転になりがながらも、統計学の勉強をしています。

なんかデータサイエンスに必要だっていうしさぁ
数理を捨てて受験を根性暗記で乗り切っていった僕には、統計学なんて「神秘」

でも、面白いんだよこれが!
そもそも、現代文が得意だった僕ですが、数学もなんか言葉の説明に過ぎねえなぁと思ったら、そこまで苦手意識はなくなってきましたね。

今日は、9月28日に参加した

Models of Impactを使って事業アイディアを生みだそう!ー戦略的ビジネスモデルで社会的インパクトを生み出す方法とは?

のルポ記事を書きたいと思います〜。大分内容忘れちゃったけど・・・


Models of Impactのワークショップは、戦略的ビジネスモデルと社会的企業を立ち上げるプロセスをシミュレートするアイデアゲームを通して、革新的なビジネスモデルを設計するもの。
僕は、自分のことを社会起業家(というかまだ団体で実績作れてないのでそういうのもおこがましい笑)と思ったことはないです。ソーシャルグッドという言葉もあんまり好きではない。
自分で実現したいこと、つまりオルタナティブスクールを作る・増やすということが、結果としてソーシャルグッドにカテゴライズされるというだけの感覚しかない。
だから、「みんなで社会的に良いことしようぜ!」っていうノリそんなに好きじゃない。
やりたいことをやれば良いのではないか、別に金稼ぎが好きならそれに集中しても、その人の選択だからいいんじゃない?
というスタンス。
まぁそれでも、自分の事業が経営面でどう収益出せるのかが全くわからんので、アホだから。
インパクトモデルと収益性をどう両立させるかを考えるこのワークショップには興味がありました!

Models of Impactのファシリテーターさんのprofileは以下の通り

Jun Suto, Model of Impact Global Ambassadar
大手外資系コンサルティング企業にて米国、日本を中心にグローバルに活動。2004年、s-cubedコンサルティングを設立。クライアントは、Warrent Buffet率いるBerkshire Hathaway、Hitachiなどグローバル企業からスタートアップまで戦略実現を軸に付加価値創出をサポート。M&A、Transformation(企業改革)、Turnaround、Corporate Governance, Change Managementなどを専門に活動。
うおー、なんかすげーって感じ笑
でもすごく気さくな方で、ワークショップはめちゃ気楽にやれました(てか睡眠時間2時間程かつ空腹だったので、ふわーっとワークしちゃった感が強い)
では、まず概要から書いていきましょうかね。

概要説明編
インパクトモデルがブランド力となる
Junさんは色々とスライドを回して、世界にはこんなインパクトモデルと収益モデルを持って両立させている社会的企業がいっぱいあるんだよーと紹介してくださって居たのですが、まあ初めて聞く単語とかシステム多くて
「ふ、ふーん(滝汗)」ていう感じでわかったような感じを出していました笑
しかし!その中でも気になった企業の取り組みが!
まず、ライジングタイド(米国)
ライジンクタイド 発達障害でググれば出るはず。
洗車の企業さんらしいですが、雇用者の80%は発達障害を持った方(自閉症)。
そして、彼らはしっかりと収益を出している、つまりインパクトモデル(発達障害雇用)と収益モデルを両立させている、米国でかなり大きい企業らしいです。
ここで、Junさんに質問
「民間企業との競争で純粋にシュアと取ってるのですか?」
この質問の意図は、「発達障害」というある意味のブランディングをなしにしても、民間企業に勝てるほどの労働生産性を彼らは持っているのか、というものでした。
Junさんは「持っていると思うし、やはりそれ以上にインパクトモデルに共感する消費者に対するブランディング力がそこに乗っかるから、強い企業だ」
というものでした。
うん、ちょっと僕の質問がナンセンスでしたね笑。
企業はそもそも何らかのブランディングを持って顧客誘引力を高めて収益を出しています。かっこいいとか、希少性とか。
ライジングタイドさんは、そのブランド力が「発達障害者の雇用」な訳で。
それなしに企業の競争力を考えるのはナンセンスでした(反省
ただ、インパクトモデルが素晴らしいブランド力になれば、それを単純な労働生産性に上乗せすることができ、マーケットのシェアも取れる、ということが証明されているんだなと、テンション上がりました!

インパクトモデルを認証して収益を上げる

もう一個面白いなぁと思ったのが、B/Lab(ちょっと名前間違ってる・・かな?)
さんという会社の、社会的企業のソーシャルグッド性をcertificate(認証、まあお墨付きですな)して収益を上げるというもの。

色んな社会的企業がありますが、それがほんとに良いインパクトモデルを有しているかは結構わからんところもある訳で。特にエンドユーザーにとっては。

そこをつないであげるという「インパクトモデル」を持って、認証・お墨付きという「ビジネスモデル」で収益性をあげているのは良い視点ダァ〜と思いました!


障害者と一緒にモノを作ってコンペ
今、自分がボランティアで運営に回っているイルカグループ という団体があるのですが、
団体HP
https://www.facebook.com/%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97-531818127273780/?modal=admin_todo_tour

そこでは障害者とか健常者とか関係なく、ただ楽しいことを一緒にやって笑って過ごして、というモットーで動いています。

面白んだなこれが!
そこで、僕は「障害者」という概念がなくなった気がします。

その会で、何か一日イベントをしようという企画をしている最中なのですが、Junさんが紹介した取り組みの中に「TOM」 https://tomglobal.org/?fbclid=IwAR3VZ61HiYL2zHb0GoneJheewOT6lLL3KiqqP_qe_dzFbCDIMfaz6tTsnIs というものがあってそこでは障害者と健常者が相談しながらプロダクトを作る、それをコンペする、というなかなかにエキサイティングなものがありました。

すごいプロダクトが作れなくても、イルカグループ でも障害者と健常者が楽しく会話しながら、面白いモノづくりができるかも!?

っとちょい興奮しました〜


ワーク編

偶発性を組み合わせろ!
さてさて、やっと具体的なワークについて書いていきます。
端的に説明すると、
①12個のインパクトモデル(クラウドファンデイングやシェアリングエコノミー、フードバンク)、12個の収益性モデル(スポンサーシップ、プロジェクトフィー)、12個の自分たちで瞬発的に書いたハマっている・ムカついた事象(爆笑する事、あおり運転)をナンバリングする。
②サイコロをふってでたランダムに出たナンバーのインパクトモデル・収益モデル・事象モデル一つずつを、5分で組合わせてビジネスを考え出す(否定より肯定を優先)
③それを他のメンバーに対して発表する。
④インパクトモデル・収益モデル・事象モデルを2個、3個と増やしていく。
というものでした。

いや、めっちゃおもろい企画やなと思いましたね。

人間は、自分の意図しないモノが出された瞬間、まさに脳に汗をかいて考える

どこかの本で見た言葉を思い出しました。

自分は自由にやれって言われると、困るよりはドキドキする性格なので、気持ちよくワークできました!

ただ、モデルが3個とかになると、頭がぐっちゃぐちゃになります。
全てのモデル間の論理的整合性を保とうとするのがめちゃくちゃ辛い・・・

これがインパクトモデル・やりたい事象をどうやって収益化するのか、の難しさだと思いましたね・・・

最後は頭がパンクした笑

ただ、色々と面白そうな事業モデルが出てきたと思います。
あれを繰り返していたら、いずれ面白い事業が現実化するのかなっと思いましたね。


最後までいられませんでしたが、非常に為になるワークショップでした!

また、次も参加したいですね。


教育ITソリューションEXPO!その3

次は「EdTechが変える教育の未来」ハリウッド大学大学院の教授の佐藤正宏さんの講演です。

 


EdTechの予感

まず、ご自身の体験としてEdTechがくると肌で感じた瞬間が自分の授業の90分を生徒が「ビデオ置いておくので出て行っていいですか」と行って出ていき、その後自分の授業を10分の動画に編集し共有SNSに上げて議論が始まったときらしいです。

 


EdTechの要件

氏曰く、EdTechであるためには、ICT機器を導入した結果「劇的なビフォーアフターが生じる」ことが必要らしいです。

これには全同意。

 

だから、電子黒板とか嫌いなんです。テクノロジーは既に学校というプラットフォームの存在意義を問うまでのレベルに達しているというのに。
まだお遊戯をしている。

あるモンゴルの子はmoocを使って、MITに合格したそうです。

  • MOOCとは、大規模公開オンライン講義を意味するMassive Open Online Courseの略称であり、ムーク、または複数形のCoursesからムークス(MOOCs)と読みます。インターネット環境があればだれでもアクセスできる、大学レベルの高等教育オンライン講義を提供しており、テストに合格すれば単位を取得したことを証明する修了証が発行される場合もあります

もう、そういう時代なのです。

 


個別最適化

スタディログにより、学びは医者のカルテみたいなものとなります。そこに蓄積された学習情報を蓄積・可視化して、学習履歴を作り、個別最適化が達成できるとのことです。

これも全同意。

なお、佐藤さんは「何のためにデータを取るか」、仮説を持って実施すべきと主張されていました。

 

 

受験はなくなる

スタディログが実装化されることにより、試験という定点観測、一発勝負で学力を図る必要性はなくなります。ログによる常時観測の方が正確にその子の学力を図れるからです。

 


Steamの再現性の問題

Steam教育が流行っていますが、それの問題はその再現性の高さにあると佐藤さんはおっしゃっていました。つまりsteamでは高度な再現性能力を有することを目的としていますが、これはすなわちコピー可能ということです。コピー可能ということは、ビジネスでは致命的です。

そこで、佐藤さんはリベラルアーツを問いを立てる力と定義して、その打破を図る、とおっしゃっていおられました。

僕はあんまりここら辺は詳しくないのですが、まあ、多肢選択の問題解くのではなく、自由作文を書ける能力が必要ということです。

 

STEAM教育(スティームきょういく)とは、 Science(科学)、 Technology(技術)、 Engineering(工学)、Mathematics(数学)を統合的に学習する「STEM教育(ステムきょういく)」に、 Art(芸術)を加えて提唱された教育手法である。 STEAM教育は、STEMの4科目(科学、技術、工学、数学)を、関連する様々な教育分野に統合するという特徴を持つ。 STEAM教育の学習計画では、生徒児童の数学的、科学的な基礎を育成しながら、彼らが批判的に考え(批判的思考)、技術や工学を応用して、想像的・創造的なアプローチで、現実社会に存在する問題に取り組むように指導する。 またSTEAM教育では、STEM(ステム)にArt(芸術)が融合されているが、この具体的な手法としては、デザインの原則を活用したり、創造的な問題解決を奨励することなどが挙げられる

 

※リベラルアーツ リベラルアーツとは元来、人間を良い意味で束縛から解放するための知識や、生きるための力を身につけるための手法を指します。 古代ギリシアで生まれたこの概念は、やがて古代ローマに受け継がれ、言語系3学(文法・論理・修辞)と数学系4学(算術・幾何・天文・音楽)で構成される自由7科(セブンリベラルアーツ)に定義されました。その後、17世紀のイギリスを経てアメリカに継承され、現在のアメリカのリベラルアーツ・カレッジでは少人数制による基礎的な教養と論理的思考力の習得に重点を置いています。 リベラルアーツ教育は基礎的な教養を形づくり、人としての根幹部分をつくる学びで、専門の学科や職業課程とは区別されるものです。

 


解決が難しいかは問題ではない。それを変えるべきと思うかどうか

「何を変えるべきか考えないと、技術は本当には活かされない」と主張されていました。

信念なき者が技術を使うと、あらぬ方向に行ってしまう。

電子黒板などもそうでしょう

そりゃ、既存にある枠組みの中でテクロノジーを活用しようとする方向の方が「思考」という一番辛い労働は楽でしょう。

しかし、それでは何も既存のものを超えたとこにある問題にたどり着くことはできない。

解決が「難しいか」は問題ではないのです。
それを「変えるべき」と思うかどうかなのです。