教育ITソリューションEXPO!その3

次は「EdTechが変える教育の未来」ハリウッド大学大学院の教授の佐藤正宏さんの講演です。

 


EdTechの予感

まず、ご自身の体験としてEdTechがくると肌で感じた瞬間が自分の授業の90分を生徒が「ビデオ置いておくので出て行っていいですか」と行って出ていき、その後自分の授業を10分の動画に編集し共有SNSに上げて議論が始まったときらしいです。

 


EdTechの要件

氏曰く、EdTechであるためには、ICT機器を導入した結果「劇的なビフォーアフターが生じる」ことが必要らしいです。

これには全同意。

 

だから、電子黒板とか嫌いなんです。テクノロジーは既に学校というプラットフォームの存在意義を問うまでのレベルに達しているというのに。
まだお遊戯をしている。

あるモンゴルの子はmoocを使って、MITに合格したそうです。

  • MOOCとは、大規模公開オンライン講義を意味するMassive Open Online Courseの略称であり、ムーク、または複数形のCoursesからムークス(MOOCs)と読みます。インターネット環境があればだれでもアクセスできる、大学レベルの高等教育オンライン講義を提供しており、テストに合格すれば単位を取得したことを証明する修了証が発行される場合もあります

もう、そういう時代なのです。

 


個別最適化

スタディログにより、学びは医者のカルテみたいなものとなります。そこに蓄積された学習情報を蓄積・可視化して、学習履歴を作り、個別最適化が達成できるとのことです。

これも全同意。

なお、佐藤さんは「何のためにデータを取るか」、仮説を持って実施すべきと主張されていました。

 

 

受験はなくなる

スタディログが実装化されることにより、試験という定点観測、一発勝負で学力を図る必要性はなくなります。ログによる常時観測の方が正確にその子の学力を図れるからです。

 


Steamの再現性の問題

Steam教育が流行っていますが、それの問題はその再現性の高さにあると佐藤さんはおっしゃっていました。つまりsteamでは高度な再現性能力を有することを目的としていますが、これはすなわちコピー可能ということです。コピー可能ということは、ビジネスでは致命的です。

そこで、佐藤さんはリベラルアーツを問いを立てる力と定義して、その打破を図る、とおっしゃっていおられました。

僕はあんまりここら辺は詳しくないのですが、まあ、多肢選択の問題解くのではなく、自由作文を書ける能力が必要ということです。

 

STEAM教育(スティームきょういく)とは、 Science(科学)、 Technology(技術)、 Engineering(工学)、Mathematics(数学)を統合的に学習する「STEM教育(ステムきょういく)」に、 Art(芸術)を加えて提唱された教育手法である。 STEAM教育は、STEMの4科目(科学、技術、工学、数学)を、関連する様々な教育分野に統合するという特徴を持つ。 STEAM教育の学習計画では、生徒児童の数学的、科学的な基礎を育成しながら、彼らが批判的に考え(批判的思考)、技術や工学を応用して、想像的・創造的なアプローチで、現実社会に存在する問題に取り組むように指導する。 またSTEAM教育では、STEM(ステム)にArt(芸術)が融合されているが、この具体的な手法としては、デザインの原則を活用したり、創造的な問題解決を奨励することなどが挙げられる

 

※リベラルアーツ リベラルアーツとは元来、人間を良い意味で束縛から解放するための知識や、生きるための力を身につけるための手法を指します。 古代ギリシアで生まれたこの概念は、やがて古代ローマに受け継がれ、言語系3学(文法・論理・修辞)と数学系4学(算術・幾何・天文・音楽)で構成される自由7科(セブンリベラルアーツ)に定義されました。その後、17世紀のイギリスを経てアメリカに継承され、現在のアメリカのリベラルアーツ・カレッジでは少人数制による基礎的な教養と論理的思考力の習得に重点を置いています。 リベラルアーツ教育は基礎的な教養を形づくり、人としての根幹部分をつくる学びで、専門の学科や職業課程とは区別されるものです。

 


解決が難しいかは問題ではない。それを変えるべきと思うかどうか

「何を変えるべきか考えないと、技術は本当には活かされない」と主張されていました。

信念なき者が技術を使うと、あらぬ方向に行ってしまう。

電子黒板などもそうでしょう

そりゃ、既存にある枠組みの中でテクロノジーを活用しようとする方向の方が「思考」という一番辛い労働は楽でしょう。

しかし、それでは何も既存のものを超えたとこにある問題にたどり着くことはできない。

解決が「難しいか」は問題ではないのです。
それを「変えるべき」と思うかどうかなのです。

教育ITソリューションEXPO!その2

どうも〜

 

ホント最近、涼しくなってきましたね。

 

これぐらいの気温が最高。でも長くは続かないのだ・・・・幸福な時間は。

 

今日は前記事、http://alter-oruta.com/education/education-it-solution-expo

教育ITソリューションEXPO!の続きを書いていきたいと思います。

 

今回は講演エリアの感想となります!


はじめの講演は慶應の教授の安西雄一郎先生の「AI戦略と大学教育」がテーマ

 

いやー良かったです。

何がいいかって、「わかっている」人特有のウンザリ感(笑)

最先端を走っている人って、もう問題の本質がどこにあるかわかっていて、それに対するソリューションももう分かっている。だから、あんまりそれを語ること自体に興味を失っているんですよね。あとは実践のみっていうことが分かっている。

そして、何回も語っているから自分もちょっと飽きちゃっていると(笑)

 

安西さんにはそんな感じがあって、「あ、これはええぞ」とはじめからスイッチが入りました。

 

うろ覚えですが、内容を自分なりにまとめていきます。

 


雇用・就業と教育構造の変革

これからの大学の価値は、就業現場でどれだけ活躍できた人材を輩出したかのフィードバックに依存すると仰られていました。

順々に説明していきましょう。

まず、偏差値・入試向け教育の衰退は不可分とおっしゃっていました。

そりゃそうですよね。センター試験の問題を人間と人工知能が解いたらどっちが高得点取るかって話です。そんな試験では今後のAIを使いこなす人間の能力は測れないということです。

又、大学の意義についても言及されていて、「どこで、どれくらい活躍できる人材を輩出できるか」かが今後の大学の価値を決定するようになる、ということです。

まあ、これからのデータログ社会ではどこ大の人間が、どのような場所で、どれだけの価値を生み出しているのか、ということが可視化できるようになるので、(というか今もできるはずなのにそれをやっていない日本の企業採用をディスっておられましたが笑)そこに行き着くのは当然かなと。

先のセンター試験とか「入口での定点価値観測」の問題ではなく、「出口からの常時価値観測」が大切ということでしょう。

それが企業から、大学の価値としてフィードバックされる。

 


文理選択の早期判断について

日本ぐらいらしいですね、文系と理系を早期に分けているのって。そして、高校から文系に流れてしまった人は、私立文系大学を目指す人は以後まったく理系に触れることなく(僕のことですね・・・)会社に入ってしまいます。

その人は単純な中学数学さえ忘れてしまっているのです。

社会に出て「数理がまったくわからない」というのは、僕が経験したのもありますが、かなり痛手です。経済・金融の数値が解読できないため、経済人でありながら経済の動きがわからないという致命的な状態に置かれるからです。

僕も中学数学からやり直そっと!


探究学修

「探究学修」が教育に埋め込まれていないことに憤慨されていました。

これはおそらくプロジェクト学修みたいなもので、自分で何か課題を見つける能力、そのために必要なアビリティを知る能力、その課題解決のための力が自分にあるか知る能力 を鍛える学修のことを指しているのだと思います。

京都では探究堂さんがプロジェクト学修をやられていますね〜。一回見学に行ったことがありますね。


「学力」とは何か?「知識」とは何か?

これからAI時代がさらに本格化する中で、その時代の文脈の中での「学力」を定義しなければならないとおっしゃっていました。

 

たぶん、僕の法律知識なんていうものは、10年後には何の付与価値も生み出さない知識になっていると思います。なぜなら、「本に書いてある知識で、共有知となるもの」だから。

AIが一番得意な分野ですね。

しかし、僕の、法律の趣旨から考えるトレーニングやそもそも持っている発達特性で磨きをかけてきた、「そもそも論に深い興味を持ち、考え、そこから論じようとする・問いを立てる能力」は、不可視ではありますが、10年後においてもなお付与価値を失っていないでしょう。
そこはAIのカバーしている範囲ではないからです。

そういう意味で今後の「学力」の定義づけが必要とおっしゃったのだと思います。

 

数学の問題で、日本の生徒は抽象定理レベルでは正答率は高いが、具体的事象(実体験性)に引き直した問題では正答率が著しく低くなると説明されていました。

 

前に書いた記事でも触れたかもしれませんが、抽象的命題は具体的事象に常に適用され得るものとなっていなくてはなりません。

なぜなら、具体的に困っているからこそ、抽象的命題を使って簡単に解決しようとしてきたのが人類史における学問の発展だからです。

抽象的命題と具体的事象を行き来する能力が低いということは今後の時代では「学力」が低いと定義してもいいでしょう。

 

又日本では多肢選択の問題が得意な子は多い(読解力が高い)が、自由記述はまったくできない子が多いらしいです。

つまり自分で発信する能力が低い。これも「学力」が低いと定義してもよいでしょう。

 


AI人材

安西さんがちょいキレ気味に話されていたのが、「AI人材」とは「AI技術人材」ではなくデータサイエンス・AIを使える素養を持った人材!

というものです。

つまり、プログラマーであることが必要なのではなく、プログラミングコードやデータログを理解してどう活用できるか考えることができる人材が必要ということ(と解釈しました)。

そのためには、今後の読み書きそろばんは、確率・統計・あと一つ忘れた(幾何学だったけかな?)であることが必要だと強く主張されていました。

ですので、文系出身の社会人は、数理も知っていなくてはならない、そのためにはリカレント教育が必要で、大学と会社を接続することが重要だということです。※リカレント教育とは、フォーマルな学校教育を終えて社会の諸活動に従事してからも、個人の必要に応じて教育機関に戻り、繰り返し再教育を受けられる、循環・反復型の教育システムです。

 

国の試みとしては抜きん出た人材を輩出するため、ある高校でAI学修支援として、選抜された子供の脳の働きをログしてフィードバックを得るようなことをしているらしいです。

すごいなぁ。僕も選ばれたいなぁ。

次は「EdTechが変える教育の未来」ハリウッド大学大学院の教授の佐藤正宏さんの講演レポです。

お楽しみに!

 

ではでは!

教育ITソリューションEXPO!

みなさん、こんばんわ!

最近ボランティアをしてる時が一番楽しいと感じ始めています。
まずいなぁ、お金ないのに・・・

今日は、ALTERのメンバーから勧められた、大阪インデックス開催の教育ITソリューションEXPOに行ってきました。

その記事を書きたいと思います。

教育ITソリューションEXPOでは、テクノロジーを使った教育サービス・プロダクトのブースエリアと講演エリアに分けられていました。

感想としては・・・
講演◎
ブース×
って感じでしたね。

ブースでは様々なテクノロジーを使った教育関連のサービスが在りましたが、着眼点そこ!?というブースが多くて・・・どうも・・・ねぇ?()

一方で、講演は良かったです!
特に慶應の教授の安西雄一郎先生の「AI戦略と大学教育」は、「わかっている」人特有の「何回同じこと言わせるんだ・・もう最小限のことしか言わない」というウンザリ感が出ていて、逆に焦点絞った講義になり(笑)良かったです。

「EdTechが変える教育の未来」の佐藤正弘さんも良かったです!お元気なお方!

それぞれ45分講演なので、お二方ともスライドを超高速で回して、僕は「あわわ」って感じになりましたが笑

今日はちょっと(どころではない)不満があったブースエリアの感想を、書いていきたいと思います。


落胆の色

ブースを見てみて思ったのは、「これもうあるアプリで事足りるし、そっちの方が優れているじゃん」ていう感想でした。

例えば英語学習。はじめに行ったブースです。
ある会社さんは「発音」を矯正するアプリを開発したとのことでちょっとお試しさせて頂きました。リエゾンなど(英語の単語間の繋がる発音のこと)を矯正してくれるとのこと。

そのアプリは、はじめにネイティブスピーカーの音声を聞いて、そのあと自分が実際に英語を喋ってみて、点数が返ってくるというもの。どれだけ近似性があるかは周波数のグラフィで可視化される。そして使用者はその点数やら周波数やらをみて100点を目指して繰り返し発音するというもの。
フィードバックは、周波数と点数。

しかし、これでは明らかにフィードバックが弱すぎる。

感想を求められたので、担当者の方に直接言ったのですが、
「そもそもリエゾンは子音と母音が連続した場合など(例えばdで終わる単語の後にaがくれば、そこのリエゾンはダとなります)原因やパターンがあります。しかし、それを言語化したものがフィードバックとして返ってこない。」
「僕の発音がどう悪かったか言語化しないとそもそも直しようがないのでは?」
「しかも、リクルートさんのスタディサプリENGLISH(超有名なアプリで安価で既にこのようなリエゾンの説明もカバーされています。僕ならスタディアプリを使おうと思ってしまいます。」など、だいぶ慎重に丁寧(ここ重要)に感想を言いました。
「貴重なご意見有難うございます」とは言ってらっしゃいましたが・・・

なぜ?市場調査とかしていないのかな・・・とか思いながら、いきなりテンションはだだ下がりです。

プログラミングブースも、これブロゲート(プログラミング学習のアプリ、有名)より劣っていないか・・・なんで取り扱ってる言語がPythonだけなんだよ・・・

市場調査していないのかな・・・・とか思いながら、気を取り直して次の本命の場所へ


ミサイルを持て余す

次は、お目当の教具や遠隔授業・e-Learningブース。
自分のスクールに導入したいなぁと思っているので、ちょっとウキウキ。

しかし、

ん?これは・・・テクノロジーを使って何がしたいんだ?

というものばかりでした。

電子黒板などは、そもそも興味がなかったので(教師が授業しやすい教具というのはそもそも「学ぶ」主体である子どもの目線からの出発点でないので、興味がないのです)通り過ぎて
e-Learningの説明を受けました。

「ライブ授業もできますし、録画したものを見ることもできます。また、PDFを編集して自分で教材を編集してそれをクラウド上で共有できます。」
・・・・・うーん、それって10年以上前からやっていることなんじゃ・・・・
しかもzoomという無料アプリ(超有名)を使えばそもそもこの程度のことはできる
(実際に大学院では生徒間で学習に使っていました)。

率直に「zoomで事足りるんじゃないんですかね?」とお聞きしたところ、「そうですね。zoomで録音したものをこのアプリに乗っけて授業することができますね。」という返答。

・・・・・・・・いやいやいやいや!!

なんとも・・・・!
なんていうか、このサービスを使って本当に何を実現したいのか全く理解できませんでした。
他にも、先生が採点しやすいサービスとか学生証のデジタル化とか有りましたが・・・

感想としては、皆さんテクノロジーという強力な武器を持て余している、という感じがしました。

ミサイル持ちながら、ミサイルを手榴弾と同じ方法で投げようとしている感じ。
発射口を設置するという発想がない感じ。持て余している。

僕もテクノロジーに強いわけではないですが、絶対にその着地点に辿りはつかない。

 僕なら、子どもの勉強に対するモチベーション、知識の蓄積度、発想の傾向などを可視化してログ(記録)したいです。
 例えで言うなら、子どもの「学び」についてのプレイリストを作成します。ジャズが好きかロックが好きかクラシックが好きか。
それを観測することにより、個別最適化を狙います。


なんのための EdTech ?

なぜか。なぜこのようなことが起きるのか。

思うに、彼らは教育産業に、社会的課題を感じず、ビジネスチャンスとして参入してきているだけなのかなと。

既存の教育制度の問題が本質的にどこから生じているか、例えば学習において「教育」(教師側)か「学ぶ」(生徒側)かという主体性の問題をどう考えるかなどを「そもそも論」を意識していないと、学校のプラットフォームの枠を超えることや、子どもへのスコア教育への疑問等に辿り着けません。

テクノロジーが、採点しやすさとか電子黒板のプロダクトに向かってしまうのは、「義務教育の枠組みの中」でしか考えていないから出てくるのだと思います。

いやいや、そもそもなんでオープンソースになっている最先端の授業があるのに、教室等「狭い物理空間」で、「発達進捗は異なり、年齢だけが一緒の子が」「教師に属人的」に「教わる」ということになっているのか。

そこへリーチしているテクノロジー教具は全くなかったのが残念でなりません。

僕が前の記事で書いたシンギュラリティユニバーシティがこれを知ったら、日本のテクノロジー教育(EdTech)に酷く落胆するでしょう。

しかし、学びは有りました。

EdTechをちゃんと理解して活用しないといけない
ということです。というかそれしかいえない・・・

ブースエリアはこのような残念な結果となりましたが、

講演エリアでは2つ講演を聴講でき、いい刺激を受けました!

次は講座エリアのことを書きまーす!

ではでは!

発達特性の人特有の長〜い話しが 好き

バババババババン!

バババババン!

この前、一緒に遊んだ子供が言っていた「ギャク」です。

いや〜衝動性と多動性の塊の彼らと一緒にいるとこっちもテンション上がっちゃいますね〜

今日は、発達特性の人によくある、「要点を得ない長〜い話し」について書いていこうと
(「障害」という言葉は、僕はしっくりこないので今後は「特性」という形で表現させて頂きます)


話が長〜いからこそ、好きなんだ

発達特性の人はよく「話が長い」と言われることがあります。

僕も過去はそうでした。ただ、今は他の人の感じ方や意見をすごく知りたいので、話は簡潔に纏めています。

ただ、僕は「話が長い」ってことに全く悪い印象を持っていません。むしろ好き

「話が長い」は悪く言えば要点まとめろと言われます。

ただそれは「生産効率」が問題になる市場、会社での話のこと。

「話が長い」を良く言えばアウトプットの量が多いとも言えるのです。

そして、アウトプットの量はインプットの量に比例する。

語るべきことが多くあるというのは、それだけ五感を使って多くのことをインプットしたということ。

美術展で名画をみて「良かった」っていうことしかできない人はそもそもその名画を「見て」はいないのです。

1時間語れる人がしっかり「見て」インプットしているのです。

もちろん、同じ話を繰り返す、関係ない話にまで飛んでいってしまう、他の人の時間を圧迫する、というのは問題ですよ。そこは修正を試みるべきです。

だから、「話が長いこと」という「事象」自体、悪いことかなぁ? と思うのです。

僕はその人の膨大なアウトプット、好き

話が長〜いからこそ、好きなんだ

 

 

「教育」は果たして義務か?ー教育の下位要素としての「就学」

みなさん こんにちわ〜
事業を始めるってホント、「孤独」にならないかが重要だな〜と思うこの頃

僕はギリギリ社会との接点を「能動的に」作ってはいますが、時々ポッと

スケジュールが空いてしまうと「・・ど・・どうすればいいんだぜ・・・!?」

とモチベーションが落ちてしまい、一日中ベッドで何をすればいいのか考えながら苦しむ日があります。というかここ2日間そうでした!

やはり、自己って「他者」があってこそだと思いますね〜

さてさて、本日は「教育は義務か」 というメチャ根源的な問題を
超端的にまとめてみたいと思います〜

国家の持続性担保装置
国家において「教育は義務」というのは間違いではないと思います。
なぜなら、国家は持続するコミュニティであり、コミュニティは成員が持続的に入退出して成立するものだからである。
その持続的入退出性ともいうべきものの中には
コミュニティにおいて一定の質が担保された成員を創出、自己に帰属させることが必要条件となる。教育はその成員の「質」および国家に対する「帰属」的意識を醸成する上で不可欠である。
したがって、国家が教育を義務とするのは、それ自体の持続性を担保する装置という点で、正しい。
のが持論です。

「就学」は義務か
しかし、「就学」は義務ではない、というのも僕の持論です。
就学とは、学校に行くということですね。
なぜか。
答えは単純。国家の教育形態の中の一つ枝葉に過ぎないからです。
学校に行かなくても、他の教育プラットフォームがありそれが適切な形で個人に提供されていれば、前述したコミュニテイの成員の質及び国家に対する帰属意識は担保されます。
 
つまり、学校に行く「就学」は単なる教育の下位要素であり、かつ、必要条件でではないのです。

「不登校」という言葉は不要どころか、不適切なのである。
そもそも、僕は15歳で義務教育のレールを外れています(高校は義務教育ではないですが、進学率からして「義務的」になっていると言っていいでしょう。)
しかし、自分で能動的に勉強した結果、最終学歴は慶應義塾大学の大学院修了、法務博士です。
ほとんどの人が、「不登校」=義務に反している 学のない人になる
と考えがちですが、「就学」がただの教育の一つの形に過ぎない以上、その等式は成立しません。
現代において、「不登校」という言葉は不要どころか、不適切なのです。

アントレプレナーシップ教育ーメンバー記事(中山さん)

 

はじめに

現在、「アントレプレナーシップ」の教育指導者になるための講座を受講しています。指導者。先生です。これまで自分には塾講師のアルバイトをしたこともないし、大人にも子どもにも授業をするなんて経験がまったくありませんでした。大勢の前でひとりで話すと言えば、せいぜい社内の業務プレゼンくらいです。受講生の中には現役で教鞭をとられている方もいて、模擬授業では問いかけ方や組み立て方が参考になります。

 

受講の動機は、自分のキャリアアップのため、わが子への家庭教育のためという、ごく自分にベクトルを向けたものです。受講を決めたのはちょうど吉田代表とコンタクトを取りはじめたのと同時期くらい。ALTERに自分の専門性を提供するなら、デザイン面で広報活動かなぁと思っていたところでしたが、奇しくも今ではALTERのプログラムとしてもいずれ使えそうな予感がしています。

 


アントレプレナーシップ・・・どう解釈するか

アントレプレナーシップは、起業家精神、企業家精神なんて説明がよくされています。「シップ」がつくので「精神」となるわけですが、講座では「起業家的行動能力」と解説されました。たしかにしっくりきます。思っているだけではアカンということです。行動まで伴わうことが重要なんですね。

 

書籍や論文でも、詳細まで読み進めてはじめてマインド的な説明に続いてから、「行動」という文言が出てきます。改めて「アントレプレナーシップ」をWEB検索してみると検索結果3ページ目くらいで、コンテンツの冒頭から「行動」と表記するページが出てきました。それほど「行動」に重きを置かれない解釈が多いことがわかります。(※理解を深めるのに、検索結果3ページ目までスクリーニングするかしないかで差が出る、と何かのコラムにありました。見つけたら改めて書きます。)

 

要するに「行動伴わずしてアントレプレナーシップなし」と。


現在の教育現場への実装は?

日本のものづくりがグローバルに通用しなくなってからは、企業、大学をはじめ、徐々に高校、中学へとアントレプレナーシップが教育現場に取り入れられたようです。ですが、成果という点では、先進的な教育が定着している欧米にはまだまだ後れを取っているのが現状みたいですね。実際に、どのような施策が教育現場におりているのか、私自身の体系的な理解はまだまだですが、実情はそのようです。

 

講座では、小学生の段階でアントレプレナーシップ教育をすることで、日本人にありがちな失敗に対する恐れから起業をためらう風土を突破していくことの重要性を説かれていました。教育を受ける年代と授業時間にどのような相関があるかはわかりませんが、少なくとも欧米では早期から起業を職業観のひとつとして子どもに示しており、日本のように大企業偏重志向ではないようです。

 

ここで小学生にもアントレプレナーシップ教育を、と考えた場合、じゃあアントレプレナーシップ教育をきちんと教えられる教育者の教育がいるでしょ、というのが講座の意図です。現在の教員教育ではアントレプレナーシップ教育がプログラムされているかもしれません。では既に今、教員としての教育を受け終わった教員の教育はなされているのでしょうか?教員もアップデートされているのでしょうか?

一部で、義務教育とは切り離されたところで個別にアントレプレナーシップ教育が行われているのが現実なんだと思います。(2020年度からの小学生向け新学習指導要領ではアクティブラーニングをはじめとする変革が盛り込まれています。ここにアントレプレナーシップ教育も包含されているかはよく知りませんので、詳しい方、ぜひ教えてくださいませ。)


大多数の被義務教育者との差別化(第2弾)

仮説として、義務教育の中でアントレプレナーシップ教育が導入されていない、もしくは不十分であるならば、オルタナティブスクール、サードプレイスでのアントレプレナーシップ教育は有効に機能するのではないでしょうか。義務教育のカリキュラムが変わるというのは、時間と労力がものすごくかかります。
子どもにとっていいと思えばすぐに実践できる点は、義務教育の枠外の存在の強みだと思います。そして、待ったなしの状況のような気がしています。これは、子どもたちにとってだけではなく、人生100年時代に突入している大人にとっても学ぶべきことだと。大切なのは、起業することではなく、自分で稼ぐ力、生きる力を身に付け、時代に合わせてアップデートさせていくことだと思います。

 

わが子が観ていたディズニー映画「レミーのおいしいレストラン」で、やけに胸に刺さるセリフが耳に入ってきました。
「誰もが偉大なシェフになれるわけではない。しかし、誰が偉大なシェフになってもおかしくない。(料理評論家アントン・イーゴ)」

誰もが起業する必要は無いでしょう。しかし起業家が辿るプロセスには、サラリーを得るのとは違う、稼ぐ力、生きる力を養うポイントがたくさん含まれています。そのプロセスを知ることは、必然的に義務教育から先の選択肢を増やすことにつながるのだと思います。