自己承認欲求は捨てられるのかー強いられた反射

おばんです。

社会を見渡せば、「自己承認欲求を捨てろ」「自己肯定感」「自分の好きなことで生きていこう」

などなどの言葉がバズっています。

自分を構築している色々な情報を取得する機会が増えてきて(SNSなどの普及やチャネルの増加、既存の価値観を否定して成功している起業家)、自分とは何かを考え直すスイッチが入ったのかなと思います。

コアワーキングスペースとか行くと大体これらのワークショップですね。

でも逆にそこの価値観に触れて悩んでいる人とか見かけますね。

自己肯定感はまた別の機会に書くとして、今回は「自己承認欲求」について記事にしたいと思います。


自己承認欲求は善か悪か

結論、めんどくさいものだと思います。

ただ、悪とはいえない。

なぜなら、その欲求は「反射」だから。


脊髄反射の脊髄抜け

常に成果を求められ、それを可視化されて、他者と比較される世界に生きている私たちは、「結果」が出た瞬間に他者からのリアクションが入ってきます。

例えばTOEIC

英文に関心しながら問題を解いていても、時間がくれば取れあげられ、点数という「結果」が送られてきて、それによって他者から「英語ができるんだ」or「出来ないんだ」というリアクションがきます。
それにより自分のテンションが上がったり、または落胆したりしますよね。

楽しんで解いたその「過程」には他者からのリアクションはきません。

結果より過程が大事とはよく言いますが、
他者からのリアクションが大きいのは明らかに「結果」の方です。

学業も会社の仕事の評価も大体はこの流れなのかなと思います。

そして現代において、社会から自己承認される一番のテンプレートは「結果で示す」 です。

 

そんな状況の中、他者からのリアクションが大きい「結果」の中で育ってきた人間に、
「自己承認欲求を捨てろ」と言うのは

「今までずーっと結果で示せって言ったけど、あれはウソね!やっぱ自分の心の声を大事にしていこ!それが正解!結果は2の次!ファイトー!」

と言っているみたいなモノです。

・・・・・・・・!?

 

そうです。

これは考え方の転換の問題ではありません。

脊髄反射の転換の問題なのです。

言うまでもなく、反射は「無意識」です。
体が勝手に反応するのです。

考え方ひとつで変わるものではないのです。

脊髄抜けって言われても抜けないでしょう。

自己承認欲求は捨てれるものではないのです。


経験を上書きする

自己承認欲求はいわば、社会構造によって作られた「反射」です。

これを「欲求」という、自己を欲の塊みたいな言い方で表現されるのは、僕は酷だと思います。

なぜなら「社会が形成した反射」だからです。

しかし、自己承認欲求は強いままではやはり生きづらくなります。

「過程」という多幸感にしたがって行為するという最高の時間を無視し、自分の出した「結果」が社会から承認されるまで多幸感を得られない(しかも承認されるとは限らない)ということになるからです。

人生の時間の中で、多幸感の時間を削いでしまう。

しかしそれは「捨てる」という性質のものではない。
反射だから。一度反射したことを人間は考えによっては捨てられない。

 

では反射たる自己承認欲求をどうやって処理するか。

さらなる「経験」で上書きすればいいのです。

人間の反射は「経験則」によって構築されます。小さい子がやかんを熱く思わず触ろうとするのも火傷した「経験」がないからです。

人と交わるのが苦手なのは、過去コミュニケーションで辛い「経験」をしたからです。

自己承認欲求を捨てろ という言説を正確に述べると、
「自己承認欲求を形成してきた経験を上書きしていけ」ということです。

すぐに変われる訳ではありません。なぜなら経験値という物量の問題だから。

だからこそ、焦る必要などないのです。

楽に生きてけ〜

おばんでした。

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